ベッドの真上に、両手を広げた幅の大きな写真が飾られている。写っているのはベッドの持ち主である屈強な男と、先日会ったばかりの肥満体質の男。二人を中心に大勢の人間が広いテーブルに並び、食事や酒を心ゆくまで楽しんでいる。

まだ孤児院で暮らしていた頃、古い図鑑でよく似た絵画を見た事がある。来るべき処刑の日を前に、神となる男が使徒を囲み晩餐を楽しむ絵画。地球という高水準の文化を持つ惑星で、最も有名な芸術作品だ。こいつらが狭い世界で神を気取っている証拠なのか、教養のなさ故に出来た偶然の産物なのかは分からない。ただ言えるのは、寝室で鑑賞するには薄ら悪趣味な画だという事だった。

 

ベッドから数歩離れた鏡の前で、男に揺さぶられながら写真を見つめていた。

仁王立ちした男に正面から持ち上げられ、両手と両足を男に絡み付かせた格好は赤子のように頼りない。肩越しの視界は容赦なく上下に揺れ、呼吸は苦しいが迂闊に口を開けると舌を噛みそうだった。

「ん、っう、すごい……」

しがみついた首筋に頬を擦り付けながら、吐息に言葉を混ぜた。自分の太腿と変わらないサイズの腕が、満悦するように一層力強くなる。しっかり抱え込まれ、厚い胸が密着した。そのまま下から深く入り込んだ亀頭が、奥の秘められた部分をこじ開けようとする。思わず腰を引きかけたが、抱きかかえられた体勢に逃げ場はない。腹の奥を暴かれる被虐感がせり上がり、背筋がぞくりと戦慄した。

「ぃっ!ひ、ぁっ……はあ」

「おぉ、いいぞ、吸い付くっ……」

意思とは関係なく鳩尾がひくついてくる。腹部が疼くたび、男は顔を何度も反らせてこれまでにない熱っぽい息を漏らした。感覚はないが、秘部の奥に潜んだ襞が亀頭にきつく絡みついているのが男の反応でよく分かった。

「ぁ、嫌だ……っぅ、っくぅ」

みしみしと奥に食いつかれて、何度も息が止まった。酸素が途絶えるせいで意識の行方が危うくなり、しがみつく腕の力を制御できなくなる。

「!」

不意に、男の乱暴な動きが螺子を抜いたように止まった。

「……誰が爪立てていいって言った?」

「ぁ……」

目を見開いた男の形相で、宙に浮きかけた意識が引きずり戻された。男の肩に食い込んでいた指をゆっくり離すと、弾力のある肌から汗と共に、薄紅の雫が垂れていく。

「……ごめんなさい」

「クソガキが、しつけ直してやる」

繋がったまま、男が大股で数歩前進する。背後が見えない状態で後ろの壁に押し付けられ、丸まった背骨が軋んだ。

「う、っく」

壁に縫い止められたまま、物を扱うような荒いピストンが始まる。両足は浮いたまま尻だけを鷲掴みにされ、下から叩きつけられる振動が体中に響いた。

「ぁ、あ、ッう、んっ、んっ!」

「もっと締めろ!」

無理な体勢でバランスを崩しそうになるが、もう男の体に腕を絡ませる事はできない。どうしようもなくなり、背中にある壁を後ろ手で探った。指を引っ掛ける場所もなく、傷を受け追い詰められた蜘蛛のように腕がさまよう。抱き合って深い奥部を攻められていた時の、一瞬感じた異質な浮遊感はどこかへ消え失せていた。

頭の後ろから淡い照明を受け、男の顔の中心には闇が差していた。ぎらつき濡れた眼球、剥き出しになった歯、息と共に吐きかけられる悦に入った声。こいつは人の姿をした、獣より醜い獣だ。

「っ、んぅ、くぅ……!」

身をできる限り小さくして、指の関節をもどかしくかじり、許しを乞うように見上げた。こいつを満足させるには、ひたすらに従属的な仕草を見せ続けるしかない。

「ッぐ……おぉ、……ハァ、ハァッ……!」

仕打ちに堪えているのを見て、異常に興奮している。更に膨らんだ怒張が、生きた刃物のように何度もめり込んだ。瞼に流れ落ちる汗が鬱陶しい。眉根を引き絞って目を細めると視界が真っ暗に染まり、打ち付けられる肌の音が余計に大きく響いてくる。

「ッお゛、ぅっ、出る、っぉ、ぐ、んぉ、ーーッ!!」

低い雄叫びと共に、密着した腿が突っ張った。中で思い切り射精した後、精液をこぼしながら乱暴に引き抜かれた。乱雑な動きを繰り返されたせいで入り込んだ空気が、小さく破裂するような音を立てて抜けていく。

急に腕を離されて、壁に背を打って倒れ込んだ。これで気が済んだかと思い、微かに顔を上げると、目の前に陰茎が迫っていた。頭を壁に押さえつけ、まだ白濁を漏らす亀頭を喉奥まで突っ込まれた。

「う、んぅ……っ!」

喉を隙間なく塞がれて、息が詰まる。呼吸に逆らうように脈々と粘液が流れ込み、耐えられずに嗚咽が漏れた。

「っんく、……ッふ、ん、んぅう」

男は赤く染まった顔で蒸気のように息を吐き、しつこく欲望の芯をねぶらせた。

体の熱は無理やり高められていたが、今ここで触れる気にはならなかった。現実から心をくらますために自分を慰めてしまえば、おそらく気が狂うほどの「正気」が戻ってくる。その瞬間、恍惚で油断しきった男のペニスに何をしてしまうか、自分でも想像する事が怖かった。

 

「お前、次もまた来い」

ベッドの端に座って服を着替えていると、歩み寄ってきた男がシーツの上に金を放った。ただの上乗せとは思えない金額だ。すぐには手を出さず、男の顔色を伺った。

「俺の事……気に入らなかったのかと」

「次は海が見たい。ソラスにはまともな海がないだろ」

無愛想な喋り方は、いかにも腕ずくで成り上がった人間らしい。言葉を咀嚼するのに少し時間をかけ、それから面はゆい顔をしてみせた。

「……俺も見てみたい。おじさんはちょっと怖いけど、お金は好きだからね」

「正直なガキだな」

男が隣に座るだけで、キングサイズのベッドが一気に男へ重心を傾けた。

「そうだ、金は全てだ。シンジケートのクソ共は金で金を掘っていい気になってる。ここで生まれた俺達への敬意がない。俺達を舐めてやがる」

「……」

自分の体を支配しきった優越感を漂わせながらも、その眼光は冷たい鋭気を尖らせていた。

「俺達には計画がある。あいつらの下で何年も練ってきた。これでソラスのサルベージ事業は奴らじゃなく、俺達が自由に動かせるようになる。わかるか?もうすぐだ。もうすぐこの星一つが、丸ごと俺達の手に入るんだ」

無意識なのか、男は険しい顔のまま、壁の写真を食い入るように見つめていた。この場にいないもう一人の人間を含めて、わざわざ「俺達」と呼ぶ暑苦しい仲間意識には辟易する。他の大勢はいくら地獄に蹴り落としても構わないが、写真の中でとなりあう相棒だけは心から信頼しているようだった。馬鹿同士でよくお似合いだと、心の中で鼻笑した。

「……なんか、すごい話だね。俺なんかに話してもいいの」

太い腕が体を抱き寄せ、子供に難解な数式を言い聞かす顔で傲慢に笑う。

「いずれ誰もが知る事になる。全てがひっくり返った後に、嫌でもな」

笑った形の口が、喉にやわく噛み付いてきた。皮膚越しに血液を吸い上げるよう、音を立てて何度も絡みつく。肌に吐きかけられる呼吸が、数度の繰り返しの後、一気に激しく熱を帯びた。着たばかりの服に手がかかり、肋骨を揉む動きと共にむしり取られた。

「ん、……」

感じ入るように顔をのけぞり、淡い照明が灯る部屋を見上げた。

……この部屋に来てからずっと、いくつもの冷たい視線を感じていた。金細工の照明、巨大な写真を飾る額縁、広い天井の隅、壁が透けた卑猥な浴室のドア。装飾品に成りすました無数の「目」を一つずつ睨みつける。こめかみから額に向かって血管が浮き上がるのをはっきりと感じながら。

(……いつまで監視【み】てるつもりだ?)

 

 

 

この男に接触をはかるまで、調査を含めて一週間の時間を費やした。先に出会った「大事な友人」の情報をもとに、ネット上に隠している裏の顔を追跡していた。突き止めたのは、表の世界から更に潜った階層にある動画共有サイトだった。自宅の寝室だけではなく様々な場所を背景に、男は自身が持つ歪んだ趣向の性行為を大量に投稿していた。

ターゲットが自分と同じ人種に偏っていたのが、誘う決め手になった。比較的年齢が若くて髪が黒く、そして痩せ型であれば性別の見境はないらしい。金で買ったのか、それとも生活にあぶれた人間を拾ってきたのか定かではないが、彼らを等しく奴隷のように扱い、気絶しようがしまいが関係なく気が済むまで犯す。画面をスクロールすると、裸の人間が体を折り曲げて押さえつけられ、男の暴力的な行為を受け止める動画が延々と並んでいた。趣味が悪すぎて見るに堪えないが、投稿される動画には多くのファンがついている。

男が入浴している間に探し当てたコンパクトフラッシュのコピーには、ファン達にも見せられないような残酷なデータが収められているだろう。

何も知らずに捕まった人間は、愚かとしか言いようがない。巧妙に設置された小型カメラを大人しくさせるスキルがなければ、彼らはこうしてネットに自らの醜態を一生晒す事になる。この世はやはり、愚かな人間が損をするようにできているらしい。

 

男が満足するまで徹底的に奉仕し、嫌になるほど疲れ果てた。隅々まで虐め抜かれた体は酷い痛みと熱を持っている。おそらく数日は使い物にならない。

しかし、そんな代償が安く思えるほどの成果が手に入った。シンジケートに対して起爆を待つだけの反乱分子、そして間違っても表には出せない恥まみれのスキャンダル。この二つを握っていれば、次のきっかけを作る材料としては申し分ない。あの男がカメラの「不具合」の原因を疑い出すうちに、そろそろ彼らの縄張りを離れた方がいいだろう。

 

 

 

依頼のメールが届いたのは、数日間に渡る体の修復を終えかけた頃だった。

(こいつ……)

送り主の顔はすぐに思い出した。一週間と少し前、店に呼んできたドラッグ漬けの男だ。あれほど派手な人間は、そう簡単に忘れようがない。

指定してきた場所は店ではなく、男の自宅のようだった。好き勝手やっておきながら、何事もなかったようにリピートする神経を疑ってしまう。しかし個人のビジネスとは違い、管理している元締めがいる以上、無闇に断る事はできない。

酷使し続けている体の医療的・審美的メンテナンスは重要だが、警備が行き届いたマンスリーアパートメントを確保する事や、街の役人を友好的にさせるのにも金が要る。そして常に危険がつきまとう暮らしをしている以上、金はいくらあっても足りない。多少厄介な人間でも、使えるものなら価値がなくなるまで使う。それが今を生き抜くための信条だった。

 

 

 

「よぉ、久しぶりだな」

まるで長年の友人と再会を果たした顔で、男は嬉しそうに迎え入れた。家族が丸ごと住める大きな一軒家だが、他に住人の気配はしない。

「……調子はどうだ?」

いくらかの皮肉を含めて聞いた。

「あー、悪くねぇ。あえて言うなら、会えなくて寂しかった、って事くらいか」

「それは、嬉しいね」

作り笑いは仕事の一部だと知っているはずだが、真に受けたようににんまりと笑い返される。

「風呂いってくるから、適当に座っててくれよ」

階段を上がり、二階の寝室に通された。コートを脱いで衣服をあらかたくつろげた後、ベッドに腰掛けて軽く部屋を見回した。

いかにも寝汚いイメージだったが、寝室は意外に整理されていた。ダブルベッドとサイドテーブル、そしていくつかの小さなキャビネットがあるだけだ。片付いていると言うより、生気の抜けた空虚さがこの部屋には漂っている。長く暮らしてきた家なのだろうが、家と持ち主の関係はすっかり冷めきっているようだ。

「……?」

ベッドとサイドテーブルの隙間に、何かが落ちている。何気なく腕を伸ばして拾うと、落ちていたのは小さな写真立てだ。写っているのは男と、男の母親と思しき女性だった。肩でまとめられた長い金髪は加齢でやや色素を失っているが、こちらに向かって微笑む顔つきは神秘的であり、年齢を感じさせない聡明さに輝いている。知的な魅力で人に愛されてきた女性なのだろう。改めて、隣でポーズを決めた男の顔つきを観察する。……こいつはどうやら父親似のようだ。

写真立ては枠が細い作りで、裏返すとガラス越しに、写真の裏に書かれた文字が見えるようになっている。薄闇に目を凝らして、すりきれたインクの文字を一文字ずつ確かめた。

『イヴリン、エリオット イヴリンの誕生パーティーにて』

日付はかすれて見えないが、こいつの名前がエリオットだという事を今更ながら知った。

しかし、妙に気になった。男の外見からして写真を撮った時期はあまり古くないようだが、写真自体はやけに傷んでいた。何度か捨てようとして写真立てから外したが、思い切れずに諦めたのかもしれない。写真のあちこちには感情のためらいが傷跡として残っていた。母親との思い出は誰にとっても掛け替えがないはずだが、データに残したくない理由があるのだろうか。

「何を見てるんだ?」

いつの間にか、寝室の入り口に立っていた男を振り返った。親しげな声とは裏腹に、目の合った顔は不気味な薄笑いを浮かべていた。まずい、と内心舌を打つ。

「……落ちてたから、拾っただけだ」

「落ちてたんじゃない。見えないように隠してたんだ。どうしてか分かるか?」

まっすぐ歩み寄り、目の前まで顔を近づけられる。濡れてまとわりつく髪を気にもかけず、目つきは飢えた狼のように冷たく荒んでいた。

「事情があるんだよ。人に知られたくない事情ってやつが。アンタだってそうだろ?」

「……」

「アンタは自分の名前も教えないくせに、客のプライバシーだけは覗き見するのか。いい趣味してやがるな」

こんな事で簡単に謝りたくなかったが、そもそも常識が通用しない相手だ。薬物常用者らしく情緒の波が激しく、感情と行動のスイッチが癒着し合っている。意地を張っていたら、後々面倒になりそうだった。

「……気を悪くしたのなら、すまなかった」

顔を逸らしながら、握りしめていた写真立てを慎重にサイドテーブルへ置いた。男は何も言わない。少し考えて言葉を付け足した。

「……対価になるかは分からないが……ヒヨン・キムだ。好きなように呼んでくれ」

「ふーん、そう」

大した関心もなさそうに男はぼやき、ベッドの側にあるキャビネットからウイスキーの瓶を取った。続いて、引き出しから小さな袋を取り出す。毒々しいほどカラフルな錠剤を無造作に口に放り、琥珀の液体を瓶から直接あおった。

「……はぁ……」

生まれて初めて息をしたように、天井を見上げて深く呼吸を繰り返し、ぼんやりと呆けている。アルコールと共に、何を体内へ取り込んだのかは疑いようもない。止めてやる義理はないが、看過するのも気に食わず、顔を背けて黙っていた。

「……何してんだ。もっと、こっち来いって」

拗ねるような声を出されて、仕方なく振り向いた。腕一本の力で簡単にベッドに押し倒され、大柄な体がのし掛かってきた。

「会いたかったぜ……やっぱ本物が一番だな」

別人のような猫撫で声に変わっている。押し付けられた肌は布越しでも熱く湿っていた。入浴後に香水をまとったのだろう、酒よりもほろ苦い甘さが鼻をくすぐった。

「けど俺がいない間、アンタは毎日色んな奴とヤりまくってたんだろ?どんな奴だった?どんなプレイだった?どいつのが一番よかった?教えてくれよ」

「……他の客の話はできない。仕事なんでね」

「つれねぇな。けど、口が堅い奴は魅力的だぜ」

手のひらが首筋、胸、そして腹を撫で、スムーズな動きでベルトを外す。まだ冷静なこちらの下半身を面白そうに眺めていたが、思い出したように顔を上げた。

「なぁ。アンタの商売道具って、こっちなんだよな」

強引に脚の間に割って入り、無遠慮にまじまじと観察される。わずかな抵抗心が湧いたが、何も言えるはずがない。

「へぇー、すげぇ綺麗……ここでオッサンのアソコ何本も咥えてるなんて、思えねぇな」

「……」

「舐めていい?」

拒否権はない。今自分の体の自由を買っているのはこいつだ。

「ん……」

声だけで小さく承諾すると、男は太腿を無遠慮に掴んで開き、犬のように舌を這わせてきた。肛門から背筋に向かって、ぞっとする甘痒さが広がった。

「……っ、ぅ、ん」

予想していなかった強い刺激に、思わず顔を横に向けて唇を噛んだ。

「我慢すんなって」

顔を押しつけたまま男は笑った。低い声と息を吐きかけられた肌が緊張に粟立つ。舌の奥から練り出して唾液を使って音を立てながら舐め回し、入り口はたちまち潤滑していった。

「っぁ、はぁ、はぁっ……」

急激なむず痒さに血液が騒ぎ出す。酸素が足りなくなり、呼吸が深いものに変わった。男も誘われるように興奮しはじめ、熱く湿った息で体がどんどん昂っていく。

やがて少しずつ、舌が内側の肉へ入ってきた。

「ぁ、ん……んぅ、ッく」

軽微な静電気が走る感覚に襲われ、可笑しいほどの反応を男の前に晒した。たった数日他人に触られていないだけで、これほど体は敏感になってしまうのかと歯痒くなった。

舌がねっとりと、深い場所をうごめき始める。同時に、小さく硬い感覚が中の粘膜を繰り返し擦っている事に気づいた。こいつが舌にピアスを通していた記憶はない。感覚は舌が中をほぐしていくにつれて、溶けるように消えていった。まるで小さなキャンディが、温かい口と唾液、そして体内の熱で形をなくしていくように。

「……!」

数拍後、その意図に気づいて寒気が走った。

「お前、っ……何してる、」

腕を立てて身を起こそうとしたが、男はすぐに顔の位置をずらし、緩く勃起したものを狙い測ったように咥え込んだ。

「……ん、ッくそ……」

顔がのけぞり、腰が痺れて力が入らなくなる。一瞬で骨を抜かれるような舌使いだ。根本まで咥えた口が嬉しそうに呻き声を漏らす。

「っン、んぐ、ん、っふ……」

舌全体で裏に走る尿道を舐め上げ、大量の唾液を絡ませて卑猥な音で啜る。剥き出た先端をすっぽりと口に含んで、上顎の裏と分厚い舌で隙間なく扱かれた。

「はッ……馬鹿野郎が……っ」

男は鼻を擦り付けて美味そうに頬張りながら、淫靡な上目遣いを寄越した。かち合った目は、悪戯が成功したように笑っていた。

……間違いなく、薬を仕込まれた。

強烈な口淫で、薬が血中に行き渡るまでの時間を稼ぐつもりだ。分かっているが、抵抗ができない。

「ぅ、あ、っは……」

声を出したくなかったが、息に混じって上擦った呻きが漏れてしまう。

男が与えてくる愛撫は、これまでに体験した事のないものだった。報酬に見合う性的なサービスを提供するのが自分の役割だ。一方的に欲望の捌け口にされる事はあっても、相手が能動的にこちらの快楽を優先して動く事は、今まで一度たりともなかった。

男の口が淫らな動きで往復を繰り返す毎に、体の部位が次々とコントロール権を失っていく。薬はすでに溶けて、腸から血液中に吸収されつつある。どうにか男を引き剥がせたとしても、自宅という強力なテリトリーで逃げきる事は、薬の効果を取り除く事より難しい。どう考えても最悪の展開だった。

「……はぁ……ぁ、はぁ……」

絶望的な気分で、巧みに緩急をつけて上下する頭を為す術なく見下ろしていた。時間はどんよりと鈍く流れているように感じたが、体感よりもずっと早く経過していた。口内で扱かれる刺激とは違う熱気が、顔をひどく火照らせている事に気が付いた。現実から目を背けるように部屋を見上げる。味気ない寝室が、不自然で奇妙な色彩を帯び始めていた。拒絶したくてたまらないが、体が動かない。動悸が疼きをもって跳ね上がり、耳元に蜜を流し込まれるような陶酔が迫ってきた。

「はァ……、あ、ァあ……うぁ、ふ、っ」

無意識のうちに胸をのけぞり、吐息と同時に小さな呻き声をあげてしまう。

気が遠くなるほど緩やかに、男が唾液を引きずりながら陰茎から顔を離した。罠にかかった獲物へ近づく動物のように、胸の上へ這いずりのし掛かってくる。眼窩の上下を指で固定し瞼を押し広げ、眼球を興味深く観察された。

「……ぁは。いい感じに効いてんなぁ」

愛おしそうに顔を撫でながら、男は舌を口内に絡めて強く吸い付いてきた。

「んぅ、っふ、ン……ぅん」

漏れ出す唾液とこもった声を、自分よりずっと大きな舌がなだめるように味わう。口づけの刺激だけでは感じ得ないほどの強い快楽だった。

「ふぅ……、こっちの具合も、ン、さっきより、よくなったんじゃねぇか……」

唇を交えながら、逞しい腕が脚の隙間をなぞり、尻に滑り込んでくる。入り込んだ指で中の肉を揉まれた瞬間、これ以上ないほど腰が跳ね上がり、太腿で男の胴を締め付けた。

「ぁっ、はあ……!」

すぐに奥へ埋まった指は、初めて触れたとは思えない動きだった。この体を全て知り尽くしているように、的確に弄んでくる。

「ぁうっ!ひ……いぁ、くぅ、んっ!」

喉奥が締め付けられ、きゅう、と高く鳴く。自分でも信じられないくらい舌足らずな声が出た。

「あぁ、気持ちよさそぉ……もうトロトロじゃん」

力が入らない手で男の腕を掴んだ。

「んぁ、あっ!いやだ……いや」

限界の意識を巡らせて、目の前の顔にピントを合わせた。男の顔は興奮に染まっているが、同時にひどく妬ましいものを見るように歪んでいた。

「イヤじゃねぇよな?アンタはコレが好きで仕事やってんだろ」

疼き続けるペニスから垂れ流れた先走りで、秘部の周囲はぐっしょり濡れている。音が出るくらいに中を広げながら、哀れな生き物を見る両目が粘質の光をたたえていた。

「けど、何となくわかるぜ。アンタ……ここでちゃんとイカせてもらった事ないんだろ?」

「ぁ、いあ……くぅ、っふ」

「今日は「初めて」だらけだなぁ。いいぜ、俺がサービスしてやる」

脚に密着した男の前腕が、指の動きに合わせて筋肉を力ませた。大きく長い指が、力強くも優しく性感帯を揉みしだく。今までのどんな男の性器より、その指は好きな場所をどうされたいのか、完全に熟知していた。

「あっ!あっ!……ぁっは、ひぃ、ッあ、ぁああ!」

「っくく……ここグリグリされるの気持ちいいよなぁ……俺も大好き」

男の脇腹に絡みついた太腿が手の平で持ち上げられ、内側を強く吸われた。

「ひぅ……、んっ、ぁあ、あぁあ、んッ!ん!」

蜜で熟れた秘部が、じゅくじゅくと泣きながら指を必死に咥え込む。

自分で触る時にはできない加減の押し引きが怖く、想像できない快感に溺れそうだった。

奥まで突き刺したまま、中を抉るようにかき混ぜられた。腰が何度も跳ね上がり、尋常ではない量の汗が吹き出した。

「ぁ、あ!あ、ぃっ、い、ッ……く、い、っいく……ぁ!うぁ、あ、……ーーッ!!」

強制的に射精させられる感覚がせりあがり、そのまま脳の中で泡のように弾け続ける。許容量を超えてあふれた快楽で何も考えられなくなり、意識が真っ白に塗りつぶされた。

「ッ!……、ん、……っぅ!ぁ……!っ、……!」

首を絞められるように息が詰まり、悲鳴すら出ない。逃げられない快感に全身を包まれ、男の腕を掴みながら小さく震える事しかできなかった。

「ふふ、ずっとヒクヒクしてる……指ちぎれそぉ」

「はぁ……っ、はぁ……ぁ……あぅ、ぅう」

進行形で甘い絶頂が尾を引き続けている。たまった涙が目尻を伝い、少しずつ耳を濡らしていく。

「どんなひでぇ顔するのかと思ったらよ……可愛いイキ方すんなって。俺なんて初めてやった時、小便撒き散らして笑われたぜ」

指が引き抜かれ、その刺激で体が大きく反り返った。

「ひ、いぅ……うぅッ!」

「んん、またか?」

がくん、と引いた腰を抱かれ、もう一度口づけされた。

交わった舌を食べる勢いで吸われて、背筋がぞくぞくと粟立つ。

「ンッ!、ぅ、んっ、ン、んんん!」

キスの刺激だけで、脳が絞られ溶け落ちるような、おぞましい快感に襲われた。

「……くく、っ、イキすぎ……」

口の中に低い声がじわりと溶け込み、もはや吐息だけで腰が浅く続けて痙攣してしまう。

「アンタ最高だな……ああ、もう限界、早くやりてぇ」

重くのし掛かっていた体が少し離れた。呆然としながら緩く目を落とすと、張り詰めた男の陰茎が、腹の上にずっしりと乗っていた。臍まで隠れる長さのものが、ぴくぴくと脈を打っている。

「ぁ……はぁ、っあぁ……」

視界にそれしか映らない。空気にさらされて喘ぐ魚のように、口が開いては閉じる。男のペニスの前に理性を握りつぶされ、何も言葉が出なかった。

「……何?コレぶち込んでほしいの?アンタの小せぇ腹、ぶっ壊れちまうぞ」

目線が合い、濡れた秘部がさらに痛いほど充血してくる。男の愛撫で、短時間のうちに何度も絶頂を与えられた。しかしそれでも腹の奥は疼きっぱなしで、今にも気が狂いそうだった。この勃起したもので奥まで貫かれたら、おそらく想像を超える苛烈な快楽を味わえる。早く楽になりたい。言う通りに壊れてもいい。意識が飛ぶまで犯してほしかった。

喉に粘り吐く唾液を飲み込み、すがりつくように頷いた。

「ん、ほしぃ……ほし、いっ」

「……っく、あッは、ぁははッ……!」

心から蔑むような笑い声が落ちてくる。唇を半月の形に歪めたまま、男は目をぎょろりと開き、溶けるように緩ませた。

「……だぁーめ」

「……!」

「お前は俺のオモチャなんだから、勝手に壊れちゃダメなんだよ」

食いしばった歯ががちがちと震え、涙がにじむ。

「でも、ここが寂しいんだよなぁ?可哀想だから、アレ入れてやろうかな」

男がベッドから腕を伸ばし、何かを取り出しているわずかな時間が、永遠にも感じた。やがて、欲しくてたまらない熱さとは対照的に、ひどく冷たいものが押し当てられた。

「ひ……い」

ペニスよりはずっと短いが、大きなくびれをいくつも持った硬い芯が中をすぐに圧迫してくる。意識は朦朧としていたが、それが何なのか勘づいた。しかしここまで追い詰められた上、覆いかぶさった男から優しく挿れられると、玩具とは思えない生々しい喜悦を呼び起こす。

「ん、ぃい……あぁ、っく」

迎え入れたものを自然に締め付けてしまい、応えるようにそれが奥を突いて敏感なスポットを揉み広げた。骨盤が浮く動きで再び括約筋が震え、連続的な快楽に襲われる。

「ぁ!はう、あ、あ!ひっあ、あ、あ、あぁ……」

声が何度も裏返り、舌の先から涎とともにだらしない喘鳴を垂れ流した。神経をむき出しにされた錯覚に陥り、涙が一筋、また一筋落ちていく。

「ぁあ……もぉ、待てねぇ、ン……これ早く欲しいっ」

男が太腿を擦り付けながら、腹の上にまたがった。あらゆる刺激で勃起し続けるペニスを指でなぞり、逆手を絡み付かせて逃さないように掴む。脚を開いて接点を見せつけながら、ゆっくりと秘部へ招き入れた。

「んん……ッ!」

異様なほどスムーズに奥へ引き込んでくる。骨盤が密着し、すぐに一番深い場所で繋がった。

「あ、すげ、すげぇ……っ!……ぁ、あ゛、おぁっ」

男がみしみしと腰を擦り付ける。埋まったままの玩具が内側から弱い場所を圧迫して、重い快感が広がった。体内と陰茎は閉塞感に包まれていたが、頭の中にはこれまでにない多幸感が飽和しきっていた。

「っ……!はぁ、っぁ、……」

快楽に前後を挟まれて、目の前が燃えそうなほど熱い。最奥で繋がったまま、夢見心地の男がこちらを見下ろしてくる。互いに考えている事は同じだった。みっちりと張った尻を両手で掴み、下からゆっくりと腰を動かして突き上げた。

「ぁ、あ゛ぁぅ、あ!ぁん、んっ、いい、そこすき、すき」

声色が甘く変わり、男もすぐに自ら腰を動かし始める。濡れた髪を振り乱し、ぶつかり合いながら上下に揺れる姿は、まるで踊り狂う獣だ。窮屈だが熱く煮えたぎった肉壁をかき分けるたび、体が組織を壊し合いながら一つに溶けていくようだった。

夢中で抜き差しを繰り返していたが、再び射精感が押し寄せる。おそらく次こそ、この体の中に射精してしまう。しかしもはや理性は機能を失い、一切の指令を受け付けない。全ての体重がかかった男を退ける事も不可能だった。

「っ……、ーーッ!」

声も出ず、深い絶頂に陶酔した。奥まで喰い付かれたまま、強い圧力で尿道の根本から精液を搾り取られていく。

「あ゛、ぁはっ、すっげ、出てるぅ……っ」

何度も脈動しながら全てを出し切ったが、引き抜く事は許されなかった。男はニヤつきながら腰を前後に動かして、中の熱を扱き始めた。数回の呼吸の間に考えられない早さでペニスが充血し、男の直腸に抱かれて再び膨んでいく。

「はぁあ……またおっきくなった」

十分に硬く張り詰めた頃、男が胸に手をつき、焦らすような緩慢さで腰の位置を上げていく。脚を大きく開き、肉孔から引き摺り出されていくペニスは、まだ食い足りないように白い涎を垂らしている。入口に引っかかった亀頭が揺れながら抜けきると、中に詰まった精液が次々と腹の上に滴り落ちた。身震いした男は、幸せそうに舌なめずりをした。さっきまで猛々しく勃起していた男のものは、体を犯される喜びにひしがれるよう、くったりと弛緩していた。

「なぁ……、後ろから、して……、アンタにされたの、忘れられねぇんだよ……」

体に力は入らないと思っていたが、男が身を横に傾けながら、こちらの腕を捕まえてくる。強い力に引っ張られ、逆転してベッドへ押し倒す体勢に変わった。意識は霞がかっていたが、本能だけで体が動いた。男をうつ伏せにして、両方の手首を腰で強くまとめると、組み敷かれているという歓喜でたまらなくなったのか、にわかに呼吸を荒げ始めた。

「はぁッ……はあぁっ!あぁ、はやく、はやくっ!」

目の前で重なった十本の指と、肛門の周囲を囲むタトゥー。揺れ動くたび、視界の中でぐにゃりと形を変えていく。それらは笑い、泣き、叫び、無数に入れ替わる人間の表情を作っていた。まるで呪いのように、一度見たら離れられなくなりそうだ。

挿入された玩具は依然と体内に留まり、体の中心を支配している。しかし目の前で誘惑する淫らな肉穴を前に、切なく浮かれ上がっていた神経は一気にそこへ引きつけられた。

濃い精液を垂らしたペニスをあてがった。手を添えなくても、弾力の強いゼリーに飲まれるように先端から根本まで一気に飲み込んでくる。突き刺されたものが真の背骨であるかのように、男は胸を突っ張り従順に身をしならせた。

「ッおぁあ、ぐぅ、あ゛はぁあ……ッいい、いぃ゛いっ!」

濁った声で絶叫をあげながら、男の膝がありえないほど震え出した。そのままくすぐるように奥を抉った。ピストンの度に、中でかき混ぜられて濃いクリーム状になった精液が少しずつ飛び出してくる。

「あ!あ゛、ぁあぁ!すき、あ、ぃぎ、あ、っひぃい!くぅんっ!」

頭をシーツにこすりつけ、調教される動物のような鳴き声をあげる。片手で男の両手首を拘束したまま、筋肉でくびれた腰を掴んで腸骨に手を添え、じっくりと奥を突き上げた。

「おぉ、っ!いい、そこ、そこすき、もっと、ぉ、うぁ゛、もっとぉ」

腰の動きに応じて、自分の中に埋まった異物が内側から何度も性感帯を叩いた。短い感覚で訪れる波のせいで、今この状態が達しているのか、達しかけているのか判断ができない。ただ望むままに腰を動かす事しかできなかった。

「あぁ!ぁ!いく、い゛、ぃ、ぐぅ、あっいくッ、あ、あ゛ぁ!……ッお、ぉ゛、んうぅう……」

悶絶とともに、ぶしゅぶしゅと下卑た音をあげながら、シーツが吸いきれないほどの液体を噴き出した。

男の体を揺さぶると、自分まで犯されるような衝撃が腰に広がる。目を閉じて、ひたすら目の前の快楽を求めた。耳の奥に自分だけではない無数の淫らな吐息と悲鳴が残響し、脳を内側から突き破りそうだった。

「んあ゛っ、すき、すき、すきぃ、あっ!またいく、ひ、いく、ぃぐ、あ、ぁんっ、あ、おかしく、なるぅ……!」

がくがくと痙攣しながら泣き叫ぶ男の体内に、気がつけば再び精液を注ぎ込んでいた。射精につきまとう、研ぎ澄まされた鋭い快感はなくなっていた。その引き換えに、永遠に続く夢のような甘さに全身を包まれていた。

「きもちい、きもちいいっ……」

男が涎を垂らした顔で見上げてくる。渦を巻いた視界で、男の目と唇は恍惚の形に裂け広がり、底知れない入り口へと自分を招いていた。

 

 

 

冷たい便器にしがみつき、顔を真下にうつむける。舌を突き出したまま、せりあがる不快な衝動に全身を震わせた。

「……けほッ、う、……かは、ッぁ」

いくら吐き出しても止まらない。胃の内容物がなくなるまで吐いたが、それでも収まる様子がない。腹から胸にかけて内臓や筋肉が収縮し、異変に染まろうとする体が内側で激しく攻撃し合っていた。

「最初は誰でもそんなもんさ。すぐに慣れる」

肩で息をつきながら振り返ると、暗い部屋の入口に男が立っていた。熱と悪寒で視界が歪み、その姿は自分を飲み込もうとする深い闇の塊に見えた。悪い夢を見ているのだと思いたい。しかし、逃げられない現実だった。力尽きるまで何時間も体を貪り合った。ここで動けなくなっている自分を嘲笑うように、平然と目の前に立っている姿はただ恐ろしかった。

「世話になってるプッシャー紹介してやるよ。アンタとは長い付き合いになりそうだ」

不意に気配が近くなる。肩に置かれた手に、体の全てが拒絶反応を示した。全力で振り払い、男から逃げるように後ろの壁に背をぶつけた。

「近づくな!」

「……何だよ、イヤだったのか?アンタってNGがないから、知らなかったぜ。イヤならイヤだって最初に言わないと、勘違いしちゃうだろ」

困った風に言い訳しているが、その声に、初めて会った時の柔らかい温度はない。

「NGがない事と、違法行為を強制するのは全く違う……そんな事も分からないのか」

吐き気を飲み込みながら、男の顔を睨み上げた。照明もつけていない狭い部屋で、彫りの深い顔立ちに差した影がどす黒く際立っている。

「……お前は普通じゃない。もうお前から仕事は受けられない」

「……」

シャットダウンされた機械のように、男は表情を固まらせていた。しばしの沈黙の後、唇だけを歪めて、乾いた笑い声をあげ始めた。

「……くくっ。……そうだな、アンタの言う通りだ。確かに俺は普通じゃない。けど、アンタはそれ以上に「半端」なんだよ。言う事もやってる事も全部な」

「……は?」

「気色悪いオヤジ共にケツやらせて、たっぷりお小遣いがもらえるんだからイイ商売だよな。俺の事だって、あいつらと変わんねぇ、頭イカれたヤク中だと思ってるんだろ?いつかこうなるかも知れねぇのに、アンタはまた俺に会いに来た。俺はイカれてるが、アンタにとってはいい金ヅルだからだ」

「……」

「で、今はどうだ?状況に飲まれてんのはどっちだよ。ザマねぇよな、半端モンが」

徐々に現れる男の変化に気づき、静かに息を呑んだ。無表情だと思っていた男の顔が、喋れば喋るほど歪んでいく。死んだように濁っていた両目はぎらぎらと潤み出し、唇は今にも噛みつきそうなほど震えていた。

「アンタ、やっぱり気に入らねぇ。こっちの世界に足踏み入れてきたくせに、自分だけは周りと違ってまともな脳ミソしてます、って顔してんなよ。汚ねぇ人間から汚ねぇ金かき集めて、周りの奴全員見下してんだろうが。俺に言わせりゃ、テメェみたいなセコい悪知恵でメシ食ってる野郎の方がよっぽどイラつくんだわ!」

狭い空間に反響するほどの大声だったが、激情を浴びせられてもなお、何一つ言葉を返せない。

「……何だその目?ホントのこと言われて怒った?ははっ……アンタってクールなふりしてるけど、かなり気が短いタイプだよな。初めて見た時すぐわかったぜ」

一方的にまくし立てた後、男は懐から出した金を洗面台に放り投げた。

「延長の金。あと、これ飲んどけ。そんな吐いてたら脱水しちまう。俺ん家で倒れられても困っから」

剥き出しの金の隣に水の入ったボトルを置き、男は寝室に繋がる廊下へ戻っていった。

 

「……何なんだよ……」

やっと動いた舌は、自分のものではないように不愉快な感触がした。男に対する強い恐怖と怒りは拭いようもなかったが、それ以上の感情を真っ向からぶつけられ、何も言えなかった。あの濡れた目つきに今も心臓を突き刺されている心地がして、息をする事も苦しかった。

初めて味わう感覚が全身に重く伸し掛かり、うつむいたまましばらく目を閉じた。

あいつは信じかけた世界に裏切られた子供のような、見ていられないほど悲しい顔をしていた。