ついてない。

 唇に挟んだ煙草に、さっきから一向に火がつかない、からではない。

 今日が非常にアンラッキーな日だと予感してしまったからだ。

 

 知り合いの知り合いの……が経営しているカーオンデマンドサービスを、まさか自分がエイデンのために手配する事になるとは夢にも思わなかった。

 下働きにも程がある。こんな時に使える連中は全部出払っているのだから、ワザと自分にエイデンを会わせたがっているんじゃないかと疑ってしまう。もちろんそんな事はジョルディの被害妄想に過ぎないのだが、何せ「あの」後だから、身内に対して疑心暗鬼の一つも生まれてくるものだ。

 

 指定のエリアに入ると、地下駐車場の最奥部へ車を停めた。真上には上階へ続くスロープが敷かれ、深い影が降りた運転席周りは程よい暗闇に包まれている。

 神出鬼没なエイデンに出くわさないよう、さっさと連絡を済ませてしまおうと思った。

 携帯を取り出したが、すぐ横でウインドウをコツコツと小突く音に、さっと嫌な予感がした。なかば諦めた気持ちで顔を上げると、

「……」

 キャップを普段以上に目深に被ったエイデンが、いつもと少しも変わらない無表情でこちらを覗き込んでいた。

 電話だけで済ませようと思っていたのに、最悪なことに生身が現れてしまった。どうやら自分がここに来ることを読んでいたらしい。

 どうしたものかと肩をすくめているこっちの顔を、キャップの奥から深い緑の目がスキャンをかけるようにじっと見てくるのが気味悪い。それから、妙に鷹揚な足取りで、反対側のドアを開けて乗り込んできた。

 車のシートが、エイデンの重みでわずかに跳ねた。

 

「……」

「……」

 

 お互い、第一声を出さない。

 カーラジオから流れるヒップ・ホップは嫌いではなかったが、今はどこかそら寒いものに聴こえた。

 

 ――エイデン・ピアースに見切りをつけ、ダミアン・ブレンクスと新たな契約を結んだのは、何を隠そうジョルディだ。これ以上、エイデンのワンマンなビジネスには協力できない。この身勝手な男のせいで、いままで自分が築いてきた信頼が失われてはたまったものではないと思ったからだ。

 エイデンに知られた時、殺されても致し方ない状況だったが、なぜかエイデンは咎めなかった。正直、それが不愉快でもあった。いっそ何らかの形で報復を受ければ、エイデンに対する裏切りは清算されると思ったのだ。

 エイデンが厄介な頑固者だという事は、この1年と少しの付き合いでも嫌というほど良くわかった。きっと、自分が喋り出すまで口を開かないつもりだろう。ここは大人の対応をしておくのが良策だ。

 

「……その、何だ。言われた仕事はするつもりだ。車はちゃんと持ってきてやったろ」

「ああ、わかってるさ。お前が来るのを待ってたんだ」

 案外即答されて、内心面食らう。何を考えてるんだ、こいつは。

「俺はてっきり契約を破棄されたもんだと思ってたぜ。まさか、このだだっ広いシカゴで他にアテがないって言うんじゃないだろうな」

「……」

 最初の一言を返したきりずっと黙っているエイデンに、ついいつもの喋りクセが出てしまう。

「アンタはこの街じゃヒーローで、同時にお尋ね者だ。そりゃ孤独だよな、俺も有名人だし、そこは良くわかるぜ。けど俺ともっとお喋りしたいんなら、こんな狭い箱じゃなくて、もっと広い店に呼んでくれよ」

 聞いているのかいないのか、助手席に身を凭れたエイデンは斜め上に目線を転じ、どこか上の空だった。

 手応えがないのが、更に面白くない。

「……じゃあ、俺はそろそろ戻るぜ。車は好きに使ってくれ」

 ドアに手をかけると、強い抵抗感が手首に走った。

 先ほどまでの浮つきはどこへ行ったのか、助手席からエイデンが身を乗り出し、こちらの退出を妨げていた。

 さすがにこめかみの辺りがひくついた。

「……アンタ、さっきから何のつもりだ?言っておくが、俺はアンタに感謝した覚えはねぇ。今更あの事をダシに使おうって言うんならお断りだぞ」

 目深にかぶった帽子のせいで、エイデンの表情には常に暗い影が差している。

「大丈夫だ、期待してない」

「そうかよ」

 じゃあ何故引きとめようとするんだ。

 そう目で訴えたが、エイデンは詰問の目を見つめ返しながら、ゆっくり姿勢を低めた。

 ……それから後の行動は、本当に信じられない事だった。スマートフォンか銃しか握らないと思っていた手が、こっちの一番プライベートな部分を触ってきたのだから。

「おいピアース……何考えてんだ」

「好きに使っていいって言ったよな」

 ここで何をやっても自由だろ、と付け足しながら、エイデンがトレードマークのベースボールキャップを脱いだ。それから妙に滑らかな手つきでこっちのファスナーを降ろし、身をかがめて迷うこともなく咥えてきた。

「おい、こらっ」

 男にアソコを咥えられたのは初めてだったが、その相手か今ここにいるエイデンだという事実を、すぐに飲み込めない自分がいた。

 しかし、エイデンは簡単にここを飲み込み、頬をすぼめて口の中で肉の波を打ち付けてくる。

「……っ」

 思わず周囲を見渡す。誰もいないのは当たり前だ。誰も好んで停めはしないであろう、設計ミスかと思しき狭苦しい駐車スペースに車を停めたおかげだ。エイデンのためにわざわざここまで計らった自分を責めるしかなかった。

 器用に喉の奥までずっぽりと咥えて、それから舌の根を立ててしゃぶられると、頭では駄目だと考えても無意味だった。熱くて弾力のあるゼリーみたいなエイデンの口の中で、それはどんどん充血して固くなっていく。

 意外なスキルを持っている奴だ。感心している間にも、今度は頭を上下させて刺激してくる。

「クソッ……」

 摩擦されるたびに、ズキズキと痛いほどの刺激が腰に広がった。

 わざと唾液を絡ませながら、アイスキャンディでも頬張るような顔のエイデンがまた腹立たしい。

 ギリギリまで愛撫して、不甲斐なく勃ってしまったものを根元から握られ、思わず呻く。

 エイデンがぬるぬるの唇を引きつらせて笑った。

 シートを軽く倒されて、上からエイデンがのしかかってきた。

「なぁジョルディ。持ってるか?」

 決して煙草の事じゃないというのはわかる。わかるが。

「……まさかヤるのか?ここで?」

「もういい、自分のがある」

 いささか興を削がれたように眉をすがめ、エイデンは尻ポケットから取り出したコンドームのパッケージを開けた、すっかり勃ちあがったペニスに、淡々と着けてくる光景にいよいよ背筋がザワついた。

「おい、おいおい」

「おいおいじゃないだろ。男相手に生でやる気か?大層な趣味だ」

 エイデンは喋りながら自分のベルトを外し、ボトムを下ろす。素の太腿が密着するのは不快なはずだが、それ以外の感覚で腰が疼いてしまう。

 肩口に腕を絡め、ゆっくりと腰を下ろしてエイデンはためらいもなくペニスを受け入れた。

 頭が入るまでかなりの抵抗がかかったが、それから後は刃物を差し込むように、ギュウギュウと奥へ入っていのがよく見えた。

「…くう、」

 歯を食いしばり、エイデンの吸い付くような内部に耐えるしかなかった。

 

 ……まさか。こんなことが。

 エイデンはただのビジネスパートナーだ。中国人より冷たいポーカーフェイス。いつでもスカした態度に、人を見下す言動がいちいち気に食わない。本当なら体が触れるだけで鳥肌が立つくらいには彼を嫌悪していたはずなのに。

 間違っても、エイデンに欲情した事は一度もない。そもそも自分にそういう趣味はない。断じてなかったはずだが、今エイデンと体が繋がっている事に、認めたくはないが密かに興奮し始めている自分がいた。

 

 奥まで密着し、肌と肌がじっくり馴染み始めた頃、エイデンがその腰を上下に揺らす。はじめは機嫌を伺うような緩い動き。そして、だんだんとリズムがつき、耳に押し付けられる厚い唇が押し殺すような息を漏らす。

 抜き差しする粘着質な音が、密室の中でやけに耳に響いた。

「ピアース、アンタ……ゲイなのか?」

「……んっ、?」

 悩ましいピストンをしながら、エイデンが聞き返す。

「ゲイなのかって聞いてるんだよ。道理で、いい年して嫁さんの一人もいねえ訳だ」

「……違う。俺は単に、お前の事が嫌いだ。だから……男のケツでよがる顔がみたいだけさ」

「とんでもねぇ理屈だ、」

 根元までくわえ込んだエイデンが、ゆっくり腰を上下させた。

「ピアース、やめろ、っ」

 エイデンが腰を揺さぶる度に、セダンが軋む。

 正直、具合は悪くなかった。

 男の尻は締めつけがよく、ハマるとクセになるらしい事は知っていた。ハマる事はないだろうと思ったが、その確信ももはや崩壊しかけていた。人間離れした身体能力を持つエイデンの体は、まるでこちらがレイプされているように強靭で強引で、簡単には抜け出せない魔力が感じられた。

「ジョルディ、中でデカくなってる」

 耳元でエイデンがかすれた声を出す。

「そんなに男のケツが好きなのか?ホモ野郎」

「言ってろ、カマ野郎」

 エイデンばかり優位に立っているのがつまらない。高圧的に振舞うエイデンの腰をおさえて、下から腰を動かした。

「っ、あぁ……!」

 アナルから脳みそまで硬い芯を通されたように、エイデンの背が突っ張る。それでも腰を振ることをやめず、こちらの後頭部を鷲掴みながら、キツい肉で容赦なくしごいてくる。

「はぁ、アンタ、どうかしてやがる……!」

 言葉で責めながら奥を続けざまに突き上げ、時に浅い部分をくすぐった。エイデンの引き締まったヒップを鷲掴みにし、接点に引き寄せてぶつけては引き剥がし、不規則なピストンを与えてやった。

「ああ、ん、っく」

 それに同調するように、腰をくねらせて抽挿を楽しむエイデン。明らかに、女を演り慣れている。

 理性では少しも望んでいないはずだ。しかし、エイデンとのセックスで面白いくらいにテンションが上がってしまっているのが、我ながら滑稽だった。

「くぅ……ん、んっ」

 頬や耳に押しつけられる髪から甘い匂いがする。

 エイデンの腰を押さえつける左手はそのままに、右手で背中を撫でた。ジャケットの中に手を忍ばせ、薄ら汗ばんだ肌をまさぐった。エイデンもそれにやり返すように、こめかみや額に濡れた唇を何度も押し付けてくる。

 扱かれるペニス越しに、エイデンの中が悦んでいるのを感じた。

「なぁ、ジョルディ、イイか…?」

 リズミカルに肩を揺らし、耳に口をつけて聞いてくる。

「ああ……ッ、最高だ、嫌いな相手とやるのが一番美味いって、マジだったんだな」

「そうだろ?俺もだ、ジョルディ……すごく、いい……」

 対面で抱き合っているせいで、エイデンがどんな顔をしているのかはわからない。

 チープな行為を、こっそり嘲笑っているのかも知れない。しかし、そんな事はどうでもよかった。

「……ああ、やばい、イキそうだ」

 衝動がせり上がり、下から激しく腰を打ち付ける。パンパンと肌がぶつかる音が車内に響き、エイデンが耐え切れず悶えた。

「あっ、あ、あ!ジョルディ、もっとだ……もっと、」

 子供のようにせがむ声に、一瞬、彼のファーストネームを呼んでしまいそうになる。

「ひっ、あ、もっと、ぁ、やっ…――っ!」

「……あっ…クソ、っ…!!」

 頭が真っ白に染まる。意識が吹っ飛びそうだった。

 逃げられないように腰を押さえつけ、小刻みに激しくピストンして思い切り射精した。その攻めに耐えあぐねたエイデンはこちらにすがりついて切ない喘ぎ声をあげる。ジョルディの喉からも、獣がフィニッシュするような荒い呻きが漏れた。肉を通してドピュドピュと中に飛び出していく精液。

 薄いゴム越しに、エイデンの腹の中まで注ぎ込んだ気分だった。

 

「あーあ……」

 一瞬前の出来事にひどく白け、頭が呆然とする。男相手に完璧にイカされてしまうなんて。

 自分の上にまたがっていたエイデンも、満足したのかようやく腰をあげた。ずぽりと粘った音をあげて、エイデンの熟した部分からペニスが引き抜かれる。

 そのまま何事もなかったようにエイデンは着衣を整えて、助手席に座り直した。

「……」

 ゴムを剥ぎ取り、シートのポケットの紙袋に叩き込むと、虚脱感でしばらくは何も喋れなくなる。

「……さて、ジョルディ。俺の用は、済んだ。報酬は振り込んでおく。後はこれに乗って帰るといいさ……」

 普段より幾分息まじりの声だ。何より、満悦したような蕩けた目つきでこちらを見られて妙に落ち着かない。

「……あー、そうさせてもらう」

 それを聞き遂げると、エイデンは大義そうに一つ息をつき、ドアを開けた。

 

 去り際、窓ガラス越しに見たその横顔は、まるで収穫のあったネズミ捕りを開封するような顔だった。獲物に対する優越感をにじませながら、同等でないものを打ちのめす冷たさ。その両方が混在していた。

 

 

 

 おもむろにライターを取り出し、煙草を咥える。

 ……ついてない。

 今日が非常にアンラッキーな日だと悟ったからではない。

 ヤった後の一服に、なかなか火がつかなかったからだ。

 

 エイデンをあそこまで仕込んだのは誰だ?頭が推理を始めようとするが、今はやめた。

 ……もしそれを知ってしまったら、そいつをうっかり、殺ってしまいそうだったからだ。

 

 役に立たない煙草を箱ごと窓から投げ捨てて、ジョルディは憎たらしい男の残り香を振り払うべく車を走らせた。