マホガニーのソファに腰掛けると、猫か子供のように柔らかい重みが太腿に乗った。
 創一だった。膝の上で少し高くなった目線でこちらを見降ろす瞳が今日は一層に黒い。
 続きを待たれた本に伸びかける手を止めた。
「どうした?」
 体がそろりと、胸にしな垂れかかるのを腕で抱きとめてやる。
「親に甘えるような年でもないだろう」
 言ってから軽く笑ってやると、創一の笑わぬ唇が重なった。

 昼間だった。
 唐突に思えるが、それは元よりそういうものだった。
 退屈な遊びか、それとも満たされた沈黙か、どちらかのみを選んで暮らせと言われれば、こいつはどう考えるだろう。
 初めて体を開かせた時、それを聞くにはまだ幼すぎたが、今となってはそれを巧くかわす事を覚えてしまった。
 不実な行為と謗られては弁解の言葉もないが、少なくともこいつにとって、これは遊びと沈黙、そのどちらをも頂戴できる行為だと、そう識見しているのだろうと思う。

 上着を脱いでソファに共倒れすると、重厚な調度だが微かに軋む音をたてた。
 それには構わず腰を手繰り、触れた布越しの脚が仄かに熱を持っている事にほくそ笑む。
 全て一点物のジャケットにネクタイ、一般人なら目玉が飛び出るような価値の仕立物を何でもない風に取り去っていく。それはおそらく贈呈物の包みを破く子供の無造作と大差ない。
 現れた裸の首に舌を乗せると、筋の弾力が心地良く、このまま噛み破ってしまいたくなるが、今は愛でるだけにとどまろう。
 創一の肌は生暖かい事以外、あまり生き物らしくない。無味無臭の気さえする。
 おざなりに纏ったシャツの上から撫ぜる薄い皮膚を張った肋骨も脆そうだ。
 少し圧を加えれば呆気なく、その骨は砂城の様に砕けてしまうだろう。
 それが柔らかい臓を思い切り突き破る様も、容易く想像ができる。
 ただ、やらぬだけ。
 尋常ならざる力、持て余しては時折王者の如く、それを気紛れに振舞う。
 一方的な匙。加減は己の心一つ。
 暴とはそういうものだ。
「そういえば、面白い事を聞いた」
 玩具を弄ぶよう、左耳のカフスをなぞる細い指。
「あの嘘喰いが、また屋形越えを狙っているらしいな」
「ふーん、そうなんだ」
「あいつも懲りずによくやる…今度こそ命まで取り立てて欲しいという事か?
 空気の一つも読めん常識知らずだ。窘めてくれる友達もいないんだろう、可哀想にな」
 もし奴の賭けに立会うような事があれば、丁寧に釘を刺しておいてやろう。
 そう呟きながら、物のように投げ出された創一の手首を軽々とソファへ押し付けると、
「……」
 弧月に似た切れ長の目がこちらを見上げて、緩く細まった。

 慣らす事もそこそこに、体を一気に暴かれた創一は目を閉じてぐっと喉を鳴らした。
 顔をよく見る為に顎を拾い、室内鏡を触るように覗く。
「う、」
 声を詰まらせた創一が不自由そうに眉をしかめた。
 この自分に嗜虐趣味が一片もないとは思っていない。むしろ形ある何かが堕ちる様には快を覚える方だ。
 人形めいた創一の顔がうっすらと気色ばんでいるのを面白く眺めながら、食いつく肉をほぐすように肌を押しつけていく。
「んん、」
 美しいと言える眉がひくつき、細く開いた目が妖しく揺れる。
 空いた手で頭を掴み、隙もなく撫で付けた髪に指を絡めてぐずぐずに乱してやると、為すがままにされているからまた面白い。
 こうして皮を剥いてしまえばただ一個の体、もはや誰とも判るまい。
 それを見降ろしつつ、深く繋がった部分をゆっくり引いて、それから続けて腰を打ちつける。
 脂肪の少ない肌がじんわりと汗を滲ませた。
「あ、っ…やだ」
 抵抗を微かににおわすだけの、息をするのと変わらないような小さな声だ。
 立ちかける膝を捕らえて掌に掴み、広げた脛の内側は柔らかく、顔へ近づけて舌でねぶると一層柔らかい。
「…ッ、い」
 こちらの頭をやんわりと抑えようとする手がひくひくと震えていた。
 裸同然となり、黒髪を乱して寝そべる姿は何も知らぬ少年のようにも見える。
 しかしその目蓋の向こうにあるほのかな熱、それが蛇の舌のように蠢くのが判る。
 腕は段々とこちらに縋ってくるが、それよりここを締め付ける肉が喜悦あらわで気味がよかった。
「あの調子なら屋形越えもそう先の事じゃあるまい」
「うん、…」
 好きな所なのか、甘えた声を出して指を噛む小さ目の歯。
 表情のない唇の奥にあるものがこうして目下にある事がまた愉快だ。
「その前に、奴の最後の持ち物を取り立てるか?それとも、このまま奴の挑戦を待つ梟になるか」
 お前が羽を毟られる姿を一度見たくはあるがな、と付け足すと、肩で息をする創一の唇の形が変わり、
 微笑とも、若しくは目の代わりをとった睥睨ともとれる形に、柔く吊りあがった。

 背を抱き抱えて再び膝の上に乗せた。
 中が乱れ、創一が一瞬顔を歪めるが、従順にこちらの肩へ腕を回して、ゆっくりと、腰を沈めてゆく。
「はぁ、…」
 深いため息をつきながら、咥えた慾を浅く、そして深く押し揉む腰の動きは淫らだが酷く緩慢だ。己が惑う振りをしてこちらを焦らす心算に見える。
 敢えて乗じてやるのも悪くないと、腰を抱き下から続けて責め立てる。
「んっ、あ、ああ…」
 内腿が痺れたように、びくびく震えあがった。
 接する肌が音をたてるよう烈しく揺さぶってやると、創一の顔が快楽を律するように俯いては、悩ましく仰け反った。
 唇が何か言葉をあげようと緩く開いたまま、言葉にする事叶わず息に混じって漏れてゆく。
 体の反応は素直だが、その奥にある腹は何色だろうか。
 長い指先は蜘蛛の腕の様にこの頭を囲い、細くもはっきりとした強さで髪へ絡みつく。
 ここを吸いつくすまで離れぬとでも言いた気に、卑しくも艶深い。
 擦れる肌が同じ温度に上がる頃には、粘膜は如何わしい粘りに濡れ、触れた胸同士は確かに速い脈を打っていた。

 膝の上で交わす戯れは、
 愚かな椅子職人が甘い懸想に焦がれ、彼女の椅子に成り果てる怪奇妄想を思わせた。
 あれは妄想で留まった事が幸い。
 人間に生まれたならば、思う存分人間として生きたいものだ。
 何より、椅子に恋はできない。
 毛を唾で繕う様に肌を食う事が恋であるのか、快に寄り添った躾であるのか、問うても目の前の口は答えないだろう。

 薄い暗がりに溶け入った黒髪は頬に擦り寄り、耳元で言葉の代わりに心地良い息を吐いた。



 耳元で、電子音が途切れない。

「お前はまたそれをやっているのか」
「うん」
 携帯ゲーム機から一瞬たりとも目を離さない創一がたった一言を返した。
「一日一時間にしておけ。目が悪くなるぞ」
「うん」
 ……まったく、これだ。
 堪えるはずだった笑いを口の端に留めたまま、手元の本に目を戻し、読みかけのページはさてどこだったかと指を繰る。
 邪魔は誰一人とて、いない。
 真昼の燦々した空気が気怠く、薄泥の様に膜を張ろうとする眠気と、肩に寄りかかる頭の重みが心地良かった。