うんざりする程、タチの悪い夢を見ていた。匕首だけを懐に、殺月はひたすら暗い街を彷徨う。ここは金、権力、数えきれない欲望を叶える街だ。しかし今だけは、何もない乾いた砂漠を裸足で歩く心地だった。

 誰にも、そして誰からも、良心や愛情の類を感じた事はない。世の中を支配する大人という生き物に強烈な憎しみを抱き抵抗しながら、徐々に大人になっていった。生まれついての悪党とは、自分の事を言うのだろうと思う。殺しなんて一人やってしまえば、あとは二人も三人も同じだった。視界を邪魔する虫を駆除するのと変わらない。その後の掃除に多少の金と手間がかかるだけだと知った時には、出会う人間の全てが虫に見えていた。

 ある日自分の前に現れた虫は、自分をコウメイと名乗った。大層な名前をかたるだけあって利口な奴なので、叩き潰すのは勿体ない。見つけて間も無く連れ帰り、良い作りの籠に入れて可愛がる事にした。狭苦しい虫籠の中で、コウメイはその世界しか知らないように、楽しそうに飛び回っていた。

 

 未だ覚めない夢。終わりが見えず彷徨う道の途中に、コウメイがぽつりと立っていた。道を塞ぐことはなく、ただ初めて出会った日のように、殺月をじっと見上げて惚けた顔をしていた。それがなぜか無性に憎たらしくなり、コウメイの体を引き寄せ、晒された生白い首へ匕首を突き刺した。肉や筋がぶつぶつと千切れていく感覚が、掌にはっきりと伝わった。

「殺月さん。何をするかと思えば……とうとう、僕が邪魔になったんですね」

 喉は逆流した血で溢れかえっているはずだが、口の端から黒い血反吐を流しながらも、言い澱みなくコウメイは呟いた。

「ああ、後悔してるよ。お前みたいな無能を雇って、いつまでもペットにしてた事をな」

 コウメイはニヤリと笑う。

「後悔しているなら、今ここで、キスしてくださいよ。僕は貴方からご褒美をもらうために働いてきたんですから」そう言ってコウメイはニヤリと笑うのだ。

 最後の褒美がそれでいいのか。鉄の味を想像しながら口付けてやったが、何の味もしなかった。舌の温度は冷たく、すり寄ってくる頰も腕も、粘土のような不気味な触れ心地。

 頭が痺れてくる。陶酔したような、或いは自分を哀れむようなコウメイの目だけが焼き付いていた。

 

「……」

 縫い付けられたような瞼をこじ開けると、暗がりの遥か上に見慣れた天井があった。

 ……酷い夢を見た。 額や背筋、肌という肌に汗が吹き出して不快だった。

 隣で眠るコウメイは呼吸に合わせて肩を小さく上下させている。頰を軽く叩いて、無理やり起こした。

「ん……何、ですか」

 もぞもぞ動きながら、普段より一層細まった黒い目が、睡眠を邪魔された不満を訴えている。こいつはいつ起こしても寝起きが悪い。

 裸の背に腕を回してベッドに押し付け、長い髪が絡まる首筋に舌を乗せた。今の今、殺月に切り裂かれた白い首は暖かい。そして、薄っぺらい戯れ言ばかり喋る唇を貪る。夢で感じた人形のような無機質さを払拭するように、何度も口付けて確かめた。

 暗闇に浮き上がるコウメイの顔は、戸惑いか興奮か、うっすらと赤らんでいた。

「勝手ですね……あなたはいつも」

 起こされた不機嫌はまだおさまっていないらしく、目が合ったまま苦言をこぼしてくる。不思議と腹は立たない、もっと聞いていたいと思った。

 虫籠の虫に甘い餌を与える事を、誰が咎めるだろうか。匕首は生憎、脱いだスーツの中だ。胸の悪くなる夢がいつかは現実になる日を思い、殺月は己の昂ぶる衝動を匕首代わりに、コウメイの中へと突き刺した。