僕はお化け屋敷という張りぼての小銭回収部屋に、然程興味はない。
 僕がそんな所に足を踏み入れる時があるとすれば、せいぜい僕に手を引かれた可愛い女の子が、襲いかかるバイトのお化けに飛びあがり、可愛い声で「キャアー隆臣くん怖ーい」って叫びながら僕に可愛くて大きいオッパイを押しつける時だ。僕はそこで初めて、お化け屋敷ではなく浪漫に金を払うのだ。

 そんな僕は今、遊園地の一角にあるお化け屋敷に足を踏み入れている。
 ガクガク震えながら僕に薄っぺらい胸を押しつけているのは、僕より明らかに年上のお姉さん、ではなくお兄さんだ。
「あの、貘さん…大丈夫ですか?」
 ここに入ってから一言も言葉を発しない貘さんが、それこそ死人のように青ざめた顔で僕にぴったりと張り付いていた。
 このお化け屋敷は、テレビでも「出る」なんて噂が取り沙汰されている話題のスポットらしい。真っ暗闇で更に迷路風に設計されており、足元がおぼつかず怪我人が「出る」危険性があるという意味では確かに恐怖スポットだと言える。
 それに自分の歩みの心配に加え、こんな時だけ妙にこの人から頼りにされているのだから、それがまた圧力だ。
「でも意外ですね…貘さん、お化けが怖いってのは」
「いやいや全然怖くないね」
 即断しながらも、その目はぎょろぎょろと暗闇を泳いでいる。
「あれだね、空調が悪いんだよ…空気が淀んでる。俺綺麗な酸素しか吸えないから」
 そう言うなり、和室と思しきセットのふすまからフランケンシュタインが飛びだして来る。配置がおかしいという突っ込みもしたいし、仕掛けが出てくる度に貘さんが僕を前方に突き出して盾にするので、そっちの方にも気を割かないといけない。
「わー、カジ、こわーい!」
 そして貘さんだけでも十分に重たいのに、横から更にマルコがしがみついてくる。そう怖がっているように見えないし、押し付けられるのは発達した大胸筋で弾力たっぷりの胸だ。少しも嬉しくない。
 そもそも発端はマルコだ。
 マルコがどうしても遊園地に行きたいと言うから、休日を作って三人で少し遠くへ出かけた。無邪気にはしゃぐマルコの姿に周りから温かい善意の目を向けられつつ、一通りの乗り物を楽しんだマルコが指さしたのは、この陰湿なアトラクションだった。
 僕は当然乗り気がしなかったが、マルコの駄々では仕方がない。
「俺はいいよ、二人で行っといで」とベンチに座ろうとする貘さんをマルコが引きずって、こうしてこの真っ暗な道を三人で大きな塊になって進んでいるという訳だ。
 お化け役の中には、僕らにたじろいで道を開ける人もいる。最早こちらが新手の妖怪としか思えない。
 無事に辿り着くには、少しでも僕の負担を減らさなくてはならないと思った。
「マルコ、一番にゴールしたらアイス買ってあげるよ」
「ホント!?」
「本当だ。さあ僕達に負けるなー、マルコ、GO!」
「ゴー!」
 マルコが両腕を振り回しながら突っ走っていく。
 ……我ながら冴えた作戦だ。
 一番手はマルコに任せ、僕らも長い長い通路を歩き、ようやく薄い光と共に出口のカーテンが見えてきた。
 さあもう少しですよ貘さん、と言いかけた所で、最後に天井からおどろおどろしい効果音と共に血塗れの生首が登場した。同時に僕達に向かって謎の白いガスが大量に噴射される。
 恐怖はなかった。ただただ目が痛かった。
「……あれ?」
 気がつくと、体が重みをなくし、スッキリしていた。
 答えは簡単だった。僕に張り付いていた貘さんの体から全ての力が抜けて、螺子の外れた機械の様にその場に倒れ伏していたからだ。
「…ちょっと、貘さん?貘さーん!!」



 事切れた貘さんを背負ってようやく脱出すると、辺りにはオレンジの夕暮れが訪れていた。
 真夜中の様な暗闇の次には夕焼けがやって来るなんて、時間が逆行したようでおかしな気分だ。
 ただ、ようやく現実に戻って来たのは嬉しかった。僕も斜に構えていた割には何だかんだで驚いたし、まあ、楽しかったと言えたかも知れない。
「やっぱり新鮮な空気が一番だね…」
 寝ていたベンチからようやく起き上がり、未だ辛気臭い顔でアイスを食べながら貘さんが唇をつり上げる。
「…そうですね」
「梶ちゃんは、ああいう所は平気なの?普段はビビリなのにね」
「はは…」
 貘さんの目線の先では、少し向こうでメリーゴーランドに乗るマルコがこちらに向かって手を振っている。
 そう言えば、久しぶりにマルコの楽しそうな顔を見た気がする。
「…僕にとっては、この世自体がお化け屋敷みたいなものですよ」
貘さんが少し、間をあけた。
「…それは、お化けより、生きてる人間の方が余程怖いんだよって言いたいのね」
「そんな所です」
「さすが梶ちゃんだ…答えがつまらない…」
「そんな!」
 理不尽すぎる問答に僕はソーダ味のアイスを取り落としそうになるが、隣の青い目が僕を見て、初めて会った時と変わらない笑い方をするので、それ以上は押し寄らなかった。

 ……こんな休日もたまには悪くない。
 思えば僕は、子供の頃遊園地に連れて来てもらった思い出がない。こうしてふざけながらアイスを食べるなんて事も。
 毎日が命がけだけど、それも素晴らしい日常の一つなのだ。
 夜に急かされるまで、僕はもう少しだけ子供に戻る事にした。