■憂鬱なディナー(オカダ)

 

 人はこの場所を、眠らない街「不夜城」と呼ぶ。今宵も光に群がる蛾のように、金と力、愛を求める人間達が当て所なく彷徨う。その欲望の行進を真っ二つにかき分け、肩で風を切って歩く男。彼は決して聖人モーセではない。神室町を牛耳る巨大ギャングの首領だ。そして彼の隣を影のように歩きながら、コウメイは街の濁りきった空気を一つ吸う。

「……しかし、あのジョーが神室町に戻って来たとはね。さてどうします、レインメーカー。彼の目的はやはり貴方でしょう。ここは彼をもてなす為の策を弄する必要がありそうですね」

「その前に飯だ。腹が減った」

 会話をぶった切られて、内心舌打ちした。

 亜細亜街を通りかかると、極彩色がコウメイの横顔に魅力的な手招きをする。折角なら好物の中華へ行きたい。しかしオカダはコウメイの視線を無視してミレニアムタワーを目指した。

 

(やっぱり、ここか)

 最近急速に店舗を拡大しているステーキ専門店だ。アジア産の香辛料や魚介類、野菜を好むコウメイにとって、焼いた肉をむさぼるだけの行為は狩猟社会に戻ったような気分になり、いまいち気が進まない。

 オカダは3ポンド余りの巨大なステーキを注文したが、やたらと細かく肉を切り分けて少しずつ食べているのが女子のようで妙に腹立たしい。そしてこの後はシメのスイーツだ。付き合わされると思うと既に胸焼けがする。図体は人一倍大きい癖に一人で食事もできないのか、と罵りたくてたまらない。

「お前は食わねえのか」

「僕は結構です。済ませてきたので」

 殺月さんと一緒なら、こんな野蛮な店に連れて来られる事はない。中華なら夜景が十分に楽しめる席を用意してくれるし、星付きのイタリアンやフレンチだって沢山知っている。

 ……殺月さんに会いたい。今は店の中にいるだけで、ガガ=ミラノの盤面が肉の脂で曇りそうだ。頬杖をついてオカダののんびりした食事を眺めていると、不意に腕を掴まれた。普通なら曲がらない方向へ捻り上げられ、思わず呻く。入店した時、周囲のテーブル席にいたはずの客はいつの間にか姿を消していた。神室町の誰もが、この男の強さと恐ろしさをよく知っていた。

「ずっと思ってたけど、お前、細すぎだろ。頼りねえから今すぐ肉食え。2ポンド。俺が奢ってやるよ」

 ……早くどうにかなってしまえ。僕は肉もお前も同じくらい大っ嫌いだ。

 

 

 

■1+1=(天山・小島)

 

 コウメイが殺月に言い渡されたのは、JUSTIS六狂人の身辺調査だった。狂人と名がつくだけあって一人一人のクセが強く、調査は難航していた。今回もまた面倒臭そうな調査になりそうだと、早くも気が重い。

 時間は日曜の昼過ぎ。劇場前広場は人通りが多く、素行の悪そうな連中も徒党を組んで闊歩している。たまに目線が合うのだが、コウメイの側に立つ二人の巨漢がじろりと一瞥をくれるだけですぐに目を逸らし、きまり悪く立ち去っていく。

「何だ、やんねーのか。最近の神室町は骨ナシが増えたよな、コジ」

「ああ、天山。昔みたいにカジュアルに喧嘩したいよ」

「まあまあ。あなた方に睨まれて、並の不良が喧嘩を売れる訳ないでしょう。お二人合わせて強さは二倍、いえ、倍以上ですから」

 コウメイがさりげなく言葉を添えると、「そうかな?」と満更でもない様子で声を揃えるのだから非常に単純だ。単純過ぎて逆に腹が立つ。

 天山と小島は常に行動を共にしており、兄弟のように仲が良い事から「テンコジ」とセット扱いで呼ばれている。昔、ギャング同士の抗争で罠に嵌められ、窮地に陥っていた天山を助けに入ったのが小島だという。

 彼らについて、情報通の矢野が「二人揃って『バカヤロー!』とか何とかいつも叫んでるけど、一人だったら只のバカだからね」と批評していた事を思い出す。天山と小島、どちらがバカでどちらがヤローなのだろうか。コウメイにとっては矢野も含めて全員同レベルに見えるので、考えるだけ無駄だと思った。

「あのさ、今日ちょっと寄りたい所あんだけど、いいかな」

 寄り道を提案する小島の顔つきが、何処となく焦っていた。

「コジ、お前まさか……」

「ああ、そろそろアレが切れそうなんだよ、仕入れに行こうぜ」

 天山のいかつい顔が、それを聞いてより渋く歪んだ。

「……またアンパンか。ほんとに飽きねえなコジは」

「場所はいつものあそこだ。なあ、コウメイも来いよ、奢ってやっから。まあ、その後病みつきになっても責任は取らねえけどな」

 小島が歯を見せて笑う。

 アンパン……今時シンナーをそう呼んで嗜む輩がいるとは、と面食らう。しかし小島がどれくらいの中毒なのかを確認しておきたく、大人しく後を付いて行くことにした。

 

 神室町の東エリア、駅寄りにあるベーカリーショップは最近オープンしたばかりで、店内はトレンドに敏感そうな若い女やカップルで溢れかえっていた。奥には十席程座れそうな広いテラスがあり、更にレジカウンターではパーマ頭で黒縁眼鏡の男の店員がコーヒーを挽いている。時間は昼の二時。カフェを兼ねている事もあり、店内はかなり混雑していた。

 そこへ先陣を切って入店する小島、「ええんか、コジ」と周囲を気にする天山、そして最後尾のコウメイを見て、客が明らかに引いている。

 そんな事に構う様子もなく、小島はトングをリズミカルに鳴らしながら、目当てのものを五個、六個とトレーに積み上げて行く。

「コウメイ、ここのアンパンは最高だぞ。生地のフカフカ具合と、餡のしっとり感が喧嘩しねぇんだ」

「はぁ……」

 小島の挙動を眺めていると、品定めの邪魔だからとテラス席で待つように指示された。

 程なくして、バスケットに盛られた大量のアンパンを抱えて小島がやって来る。続いて天山が三人分のホットコーヒーをテーブルに置いて、揃って席に着く状態になった。

 これは食べなければいけない空気だ。人心を掴むきっかけとして、共に食事をする事は大きな意味を持つという。だからこそコウメイは食事の席を設けて六狂人と接触をはかってきたのだが、ここに来てのパンは予想外だった。

「コウメイ、お前ラッキーだぞ。初めてで焼きたて食えるんだからな」

 笑顔から放たれる威圧感に逆らえず、アンパンを手に取る。控えめに齧ったつもりだったが、一口目で餡にたどり着いた。餡の量が多く味も濃厚で、なおかつパンの風味や食感を打ち消す事がない。むしろ互いの良さを絶妙に引き出している。甘いものは得意ではないが、そんな自分でも素直に評価の言葉が口をついて出た。

「……美味しい、ですね」

「だろ?俺一日でもこれ切らすとやばいんだよ。元気の素って言うの?疲れた時もさ、スタミナンXより断然コレだな」

 小島がパンを片手にマッスルポーズを見せつける。天山は「食い終わったらパチンコ付き合えよ。今日ボルケーノ新台入替だろ、朝からウズウズしてんだ」とぼやきながらも、何だかんだで一緒にアンパンを味わっている。

 ……何だろう、この光景は。

 小島が天性のバカなのか、バカに付き添っている天山がお人好しのバカなのか、それともこのバカ二人に振り回されている自分が真のバカなのか。よくわからなくなってきた。

 

 帰り際にアンパンを二つテイクアウトしたのは、きっと頭が混乱してしまったせいだろう。

 

 

 

■軍師危うきに挟まれる(矢野・棚橋)

 

 約束の時間は三十分以上過ぎていた。待たされるのには慣れているが、ボウモアの氷が溶けて、甘く煙っぽい芳香が少し薄くなっている。一気に飲み干して、次はストレートで注文した。

「コウメイも結構いけるんだな。あんまり一緒に飲む事ないから、知らなかったよ」

 隣に座り、倍の速さでグラスを空ける棚橋が人懐っこく話しかけてくる。

「弱くはありません。特別強くもありませんが。質が良ければそこそこ飲めますよ」

「へえ。ところで、今日はいつにも増して肌ツヤがいいんじゃない?さては夕べ、お楽しみだったようだな」

 下世話な質問に、口元が引き攣る。確かに昨夜は殺月さんと会っていた。少しの時間だったが、予約したスイートルームで濃密なひと時を楽しんだ。

「……それは今関係ない話でしょう」

「つれないなー、いいから教えてよ。どんなプレイが好きなの?コウメイってなんか変態っぽいんだよなあ」

 人懐っこさを通り越して、プライベートに踏み込んだ事をけらけら笑いながら聞いてくるのは流石に癪に触る。

 もともと一緒に飲むつもりはなかった。店の近くで偶然会った棚橋が「俺も一緒に飲みたい」と無理矢理ついて来たので、二人で待ち合わせの相手を待っているという状況だ。

 指定された店は貸切になっており、照明も抑え気味で雰囲気はかなり落ち着いている。「彼」は意外に気を回せる人間らしい。これならあの人に報告し甲斐のある、建設的な話ができそうだ。何もイレギュラーが起きなければ、だが。

 

 やがて観音開きのドアが派手に開き、ボーイ達が「お疲れ様です」と次々に声をかけた。

「わりぃなコウメイちゃん、待たせちゃってよ」

 素肌の上から血のように赤いジャケットを羽織った出で立ちの矢野が、どかりと隣のスツールに座った。それだけでコウメイの左側の空間がグッと狭くなる。

「矢野さん、この店は?」

「あーここ?俺がやってる店なんだよね。JUSTIS割引はないんで、全部定価になりまーす」

「えー、何だよ矢野、ケチくさいな」

 コウメイの右側、矢野の死角になっていた空間から棚橋がぬっと顔を出すと、矢野の顔つきが明らかに変わった。

 ……早速イレギュラーが起きた。二人はかつて犬猿の仲だったと聞いていたが、この雰囲気から察するに真実で、まだ尾を引いているらしい。厳密にいうと、矢野が棚橋を一方的に毛嫌いしているようだ。

 JUSTISとして結託する前から、武闘派の二人は神室町で何度も縄張り争いのために抗争を繰り返してきた。競り勝っていたのは棚橋だという。

 天山・小島とは対照的だ。二人揃えば1+1がマイナスになってしまう。

「……オレはコウメイちゃんを呼んだんだけど。何でテメーまでいるんだよ、ウゼェな。かーえーれ、かーえーれ」

手を叩いてコールする矢野に、棚橋はあくまで冷静だった。

「別にいいじゃん、俺たち今は仲間なんだし」

「ふーん。じゃあ友情の印にそのチャラチャラしたロン毛、男らしく丸坊主にしてやろうか?それなら特別料金で飲ませてやるよ」

「はは、やってみれば?力ずくでも何でも。無理だと思うけどね」

 段々空気がピリついてくる。

 沸点は低いが収まるのも早い矢野はまだしも、この棚橋だけは怒らせてはいけない気がする。さんざん挑発されて外面だけは体良く微笑みをキープしているが、彼もまた悪事で成り上がってきた腕利きのギャングだ。どの業界でも、普段温厚な人間を怒らせる事ほど面倒臭い事はない。何より、二人の大男の間に挟まれている圧迫感で気分が悪かった。

「……いいですか。ジョーがJUSTISを抜けた事は、もうご存知かと思います。どんな理由があっても創設メンバーの足抜けは許される事ではありません。我々幹部の沽券にも関わります。こんな時こそ一枚岩にならなくては。つまらない諍いを起こしている場合じゃない。そうでしょう?」

「そうだそうだ、わかったか棚橋テメーコノヤロー」

「コウメイはお前に言ってんだよ。そんな事もわからないとか、もしかしてお馬鹿さんなのかな?」

 矢野がほんの数秒目を閉じて、天を仰ぐ。次には床に固定されたカウンターが揺れる程の勢いで立ち上がった。

「あー!もういいわ、テメー今すぐ表出ろや、直々に制裁加えてやっからよ!!」

 どこからともなく枝切りバサミを持ち出し、顎でドアの方向を促した。

「コウメイ、ごめんな。穏便に済ませてくるから、ちょっと待ってて」

 コウメイの肩をポンと叩き、その両手を胸の前に重ねてバキバキと鳴らしながら、棚橋は矢野に続いて店を後にした。

 

 ……もうどうでもよくなってきた。

 胸ポケットの携帯が鳴る。殺月さんからだ。

「はい」

「すみません、矢野から過去の詐欺と窃盗関係の情報を抜こうと思ったのですが」

「今日は接触できそうにありせん。また出直します」

 カウンターで一人、グラスを手に取る。

 ストレートで呷ったボウモアが、重たく胃に溶けた。

 

 

 

■トランキーロと言われても(内藤)

 

 尾道へ送った刺客、矢野が桐生会に撃破された。尾道で矢野の顛末を見届けて神室町に戻ってきた内藤は、これから再び尾道へ戻り桐生とケリをつけるという興奮が先立つのだろう、夜中に電話でコウメイを呼び出した。

 この内藤という男、腕が立つのはもちろんだが、日本の極道のみならず国外のマフィアにも顔が聞く。オカダが彼を引き抜いたのはそういった裏社会における人脈の広さがもう一つの理由だったようだ。

 テキーラで乾杯をして、グラスを呷った内藤は上機嫌だ。

「……桐生一馬。伝説の男とやれるなんて、今から楽しみだね」

「ええ。ただ我々は、矢野が出した損失を立て直している最中です。レインメーカーも、貴方と桐生を無理にぶつける必要はない、と言っていましたが?」

 内藤は口元をいじりニヤニヤしながら、もったいぶるように口を開いた。

「……俺はオカダにも、他の誰にも従う気はないよ。ただそこに強い奴がいたら、ひたすら追いかけてぶちのめす。それを実現できる環境が整ってるのが、JUSTISのメリットだ。だから俺は俺の意思で今のポジションにいるんだぜ。コウメイも、オカダの下にいるのが俺的には不思議だね。他にもっとやりたい事とかないの?」

「僕はレインメーカーのサポートができれば、それで満足ですよ」

「あーそう。俺はコウメイ程の頭があれば、もっと成り上がれると思うけど。金の雨が降りそうな場所は神室町だけじゃないでしょ。たとえばメキシコの麻薬カルテルなんかだと……」

 大袈裟な身振り手振りと芝居がかった口調が鼻につく時もあるが、クレバーで損得勘定と野心のバランスがよく取れている。力自慢で鼻息の荒いJUSTISのメンバーの中では、まだ話の合うタイプだ。

 内藤が独壇場を繰り広げている間に、店員が次々に料理を運んでくる。サルサが効いたタコスやトルティーヤ、濃厚な煮込み肉などが並び、テーブルが強烈なスパイスの香りに包まれる。

 彼はコウメイを必ずメキシコ料理に誘ってくる。辛いものはコウメイも好きだ。しかし生憎、ここまで陽気な辛さは求めていない。仕方なくタコスを一つ口に運んだ。タコスは低カロリーかつフォトジェニックな見た目を理由に、モデルなんかが好んで食べているらしい。ただこういった本場のレシピに近いものはかなりカロリーが高く、とにかく辛い。それほど強くもない胃が、地球の裏側の味に早くも戸惑いを見せていた。

「大体さぁ、JUSTISってチーム名もどうなの。スペル間違ってるし、名乗るの恥ずかしいんだけど」

「……それは僕もすぐ気づきましたよ。オカダもジョーも不良出身ですから、教養がないんでしょうね」

「俺ならJusticia(フスティーシア)にするね。こっちの方がかっこいいだろ」

 彼はいつ何時、どんな場面でもスペイン語にこだわる。正直チーム名なんてどうでもいい。どれほど頭を捻って考えた所で、最後は名前ごと踏みにじられ、全てを支配されるのだから。

「確かにね」と適当に相槌を打ちながら、思わず漏れる含み笑いをグラスで隠した。

 

 しばらくして、テーブルに置いてある内藤の携帯が鳴った。画面で着信の相手を見るなり、普段は鷹揚な内藤の顔つきがさっと変わる。周囲を軽く見渡し、用心深く通話ボタンを押す。彼が通じているマフィアの一人だろうか。だとしたら、興味深い会話が聞けそうだ。内容によっては、殺月さんにも報告しておく必要があるだろう。

「……もしもし、ヒロム君?久しぶりだね。どうしたの。え?日本にいる?今から会いたい?仕方ないなぁ……そっち行くから場所教えてよ」

 喋りながら、内藤は席を立った。唖然とするコウメイには目もくれず、ジャケットを羽織って足早に店を出て行った。

「え、ちょっ……どこに行くんですか!」

 ヒロムとは誰なのか。余程ヤバイ奴なのか。自分から呼び出して大量のメニューを注文しておきながら、この仕打ちはないだろう。

 それから何十分待っても内藤が戻ってくる事はなく。

 テーブルには高額な支払額を示した伝票だけが残されていた。