振動音で目が覚める。
 サイドボードに置いた携帯が青く点滅しながら、振動の度に定位置からずれてゆくのをしばらく眺めてからのろのろと手を伸ばす。
 開いた液晶に並ぶ商業的な文面は目で追う気にもならない。
(メルマガかよ…もう、こんな朝っぱらから)
 待受画面の時計は何となく午前11時くらいだった様な気がするが、それを枕元に放って寝返りをうつと、
 目の前に白いものが寄り添っていた。
「……ば、」
 名前を半分呼びかけて、とどまった。
 そこで熟睡していたのは疑うまでもない。
 すれ違えば誰もが振り返る浮いた髪色。この人の最大の特徴だ。
 絹糸が踊る様なウェーブの銀髪、それがシーツとの境目を紛らわしく乱しているのは何となく絵画だなと思う。
 この状況、少し昔の自分なら衝撃を受けて這う這うの態でベッドから逃げ出すのだろうが、
 ここ最近目まぐるしい勢いで常識範囲外の事態に遭遇し、人並みだった心臓にも産毛が生え始めたという自負がある。
 隣に同性がすやすやと眠っていてもそこまで驚く程の事はない。
「……」
 それにしても、この人はどうしてここにいるのだろう。
 奇妙な三人組は自由行動が信条であり、お互いに干渉もしないので、この人が昨夜どこで何をしていたかは知る所ではない。
 しかし肌から若干漂ってくる酒のにおいで察しはつく。
 どこかの店で酔っ払って帰宅し、ドアから一番近い自分のベッドに潜り込んできたのだろう。
 見るからに酒への免疫が低そうな人ではあるが、こうしてここまで戻って来るのだから良々だ。
 この人程の身分となれば他に便利な足は幾つもあるのかも知れないが。
(でも、こんなに近くで見るのは久しぶりだな)
 遠慮なく、とはおかしな言い方だが、こういう時でないとまじまじ眺める事はできない。
 シャツの胸元あたりに手を置いて静かな寝息をたてる様は無防備そのものだ。
 細い針が光を蓄えた様な真っ白い睫毛、
 それが食虫花の触手を思わす緻密さで目際に生え揃い、頬に線状の影を落としている。
 その目は今まで何を見てきたのだろう、飄々という喩えが相応しくもあり、そして時折誰よりも生々しく燃え上がる。
 出会った時からそうだ。見れば見る程この人には引き込まれてしまう。

 一体、何を目的に自分に近づいて来たのか。
 それを聞けばその口はもっともらしい事を言って、自分は面白い程簡単に納得させられるのだろう。
 ……この人は魔物だ。
 袋小路の巣窟に妖しく誘われて、いつか身を喰われる日がきっと来る。
 かつて誰かにも釘を刺されたが、そうだとわかっていても、この心に抱いた強烈な憧れはどうしようもなかった。
 今にもその目蓋が開かれて、青い目が自分を見上げて微笑みそうな気さえする。
 毒を食らわばなどとはよく言ったものだけれど、世間並みに普通で、世間並みに退屈な生き方にはもう戻れない。
 日常との境界線に押し付けられた靴跡はおそらく自分と、そして、
(……やめよう)
 こんな事を考えても埒が明かない。
 毎日が白か黒かの堂々巡り。そこにグレーが差された瞬間から、この頭は綺麗におかしくなってしまったのだ。
 幸いまだ暗い夜はやって来ない。
 僕はその図り難く恐ろしい彼の目が開くまで、もうしばらくここで寝顔を見ていようと思った。