蘭子の十歳の誕生日に、親父が生き物を買い与えた。
鶏の卵程の小さな白い体に、黒真珠みたいな目が埋まった毛ネズミ。正しい名前を覚えたのは、もう少し後の事だ。
蘭子は手の平に乗ったそれを見て口元を綻ばせた。
学校から帰っては、滑車を回すそれを飽きる事なくにんまりと眺めているので、蘭子はそれを大層気に入っているのだと思った。
俺が蘭子を追い、もうすぐ十歳になろうとする日だった。
夕暮れの中、赤いワンピースが砂庭の上に突っ立っていた。
蘭子には赤がよく似合っていた。ワンピースの肩口で色を切り分けたような黒髪も、蘭子の人形めいた白い顔を一層に際立たせていた。
俺が近づいてもこちらを向くことはなく、
蘭子の横顔は真っ直ぐに、庭の端に根を張った松へ向けられていた。
池の上に己の姿を映す様、長い枝を伸ばした松の木。
その枝が分かれる根元の幹に、どこからやってきたのか、大きな蛇が身を絡ませて立体的な輪を描いていた。
精密なドットを刻んだ体はてらてらと光り、幹を擦るように体を動かしているが、そこから離れようとしない。
この静かな獣が持つ猛毒の恐ろしさというものを俺はなんとなく知っていた。
近寄るまいと思った事も確かだが、何より蘭子がその獣の一点ばかりを食い入るように見つめているのが気になった。
蛇の口の中には白いものがあった。
卵を銜えているのか、それとも、卵のようなものを銜えているのか…。
「……」
俺は戸惑いを覚えた。
卵とは果たして赤い血を流すのか、見苦しくじたばたと動くものなのか。
それが何であるかに気づいた時、蘭子は俺の顔を見ないまま言った。
「雹吾」
「目や耳はろくに働きもしないのに、こいつは不思議だね。あの子がどこにいるかがちゃんとわかるんだ」
「あの子が逃げた場所はここだって、こうして教えてくれたのさ」
その声には暖かさも、また冷たさもなかった。
俺は何も言葉を返せなかった。
蘭子が今まで可愛がっていたそれは、目の前の獣にとって、俺達が当たり前のように食う様々な肉の中の一つでしかなかった。
ただ何より恐ろしかったのは、目の前でおぞましい捕食の光景を見る蘭子の目が、ケージの中で回る滑車を見る目と変わらず、にんまりとしていた事だ。
もう動かなくなったそれを丸飲みにして、胴の一部を風船のようにぷくりと膨らませる蛇。
蘭子の喉もまた、何かを飲み込んだ。
俺には幼すぎてわからなかった。
俺と変わらない程幼い蘭子が何に酔っていたのか。
その胸に巣を張っている物が何であったのか。
やがてその喉に飲まれる物は、いったい、何、なのか。
俺は何も言葉を言えなかった。
落ちてゆく陽、それよりも赤いあの舌だけが目に焼きついていた。