天の向こうにはおそらく隈ない黒があり、そこに生きる事は一面の墨の海を裸で泳ぐようなものであろう。

 邪魔もなく、しかし差し伸べられる手もなく、どこまでも静謐、無常な、何もない流れをゆくのはどのような心地がするだろうか。

 そうだ、その心細さゆえに、光を求めるに違いない。

 灯皿一つではあまりに悲しい。そこには常に道標のように無数の光が瞬いていなくてはならない。

 我々の目を楽しませ、それらが偶然に織り成す集合から幾つもの美しい物語を夢想してしまうような光。

 それがきっと星なのだ。

 ……おれの望みはまるでその星を欲するようなものだった。

 届くはずもない、そのような理想を考えてもならない、触れてももらえぬような所で静かに、ただ静かに、待ち侘びるのみだと。

 

「午睡につかの間の夢を見ているようです」

 指先でその髪を触る。

「ここで貴方とこうしていられるなんて」

 恋しくなって手繰り寄せる。

 おれとは似ない色の髪に編まれた絹と髪飾りが、肩口から胸、腰に垂れかかる。

 美しい色が抱きしめあう様に絡み合い床へ広がる様は、極楽に棲み金枝で羽を休ませる麗鳥の尾。

 その尾を掴んで離さぬ事は、やがてここから飛び立つのを認められぬおれの我儘だろうか。

 胸元にこうべを寄せ、貴方の鼓動を聞いた。

「……兄上もそう思いませんか」

 眠る間際のように体を預け合い、足は腱を切られたように動かない。

 おれにとってはここが何処であるかも、覚束ないものであった。

ただ、目の前に貴方だけがいた。

「現を現ならぬ言葉になぞらえるのみ…そうして現そのものを見ようとせぬのだな、お前は」

 おれに向かって貴方の喉が声を出すと、ぴたりと添った喉から胸までが心地よく震える。

 肌を通して聞こえる言葉は、おれの女々しさをたしなめるものであった。

 おれはどこか面映いものを感じて唇を噛んだ。

 表情は見えない。おれを見下して笑っているのか、息をするように何でもない顔をしているのか。

 母の胸に抱かれるようでいて、父の厳しさに抱かれるようでいて、それは離れがたい安堵の蔦をおれに伸ばしてくる。

「夢だと思うなら、覚めるまでそう思っていればよい」

 貴方は続けて口を開いた。

 言葉の響きは変わらず淡々としたものであったが、

 しかし、背にそっと回された手は、おれの顔をはっと上げさせる程に優しいものであった。

 向けられるその表情に、如何しても言葉を次げず、おれは喉にこみあげる甘い疼きを、歯の奥で飲み込むばかりであった。

 

 知らず足元に流れる海は墨だろうか。

 否、指で掬えばぬるりと零れ、とても赤い。

 いつか見たようなまばゆい海がそこには広がっていたが、これが全て夢であるならば、何と美しい。

 おれは貴方の胸に今一度頬を寄せ、夢と呼ぶには生々しい貴方の体温に心安らぎ、静かに目を閉じた。