幼い頃から玩具や菓子をねだった事もなく、欲や執着心の無い淡泊な人間だった。
 何かを強く欲すという感情を覚えたのは、あの夜ここで出会った彼の、黒をじっくり溶かした蜜の様に深い緑色の目を見てからだ。
 薄暗がりの中にもそれを奇麗だと思ったのは、この世の大抵の物を美しいと思わなくなった自分の意識を覚ます鮮烈な艶のせいだったのだろうか。或いはただ足元の珍しい虫を踏みつけるか逃がすか程の、取るに足らない気まぐれのせいだったのだろうか。



「オーナー、すいませんが、ちょっと来てもらえませんか。面倒な事になっちゃって」

 予定外の連絡を受けたのは深夜一時を回る頃だった。今日は珍しく早く帰れそうだと思ったのだが、そんな時に限って厄介事は舞いこんで来る。時計から顔を離しビルの間に僅かばかり覗く濁った夜空を見上げ、ハザマは浅い息をついて手元のロングコートを羽織った。
 店の前でタクシーを降り、入口で待っていた黒服を連れて店内に入る。
 足を踏み入れたフロアは銃撃でも受けたように酷く散乱していた。酒類が瓶から零れてローテーブルに滴り、饐えた臭いが鼻につく。観葉植物やグラスなどほとんどの物が床に落下しておりまともな足の踏み場はなく、歩けば靴がガラスの欠片をジャリジャリと砕いて不快極まりない。
 無言でフロアを突っ切り、黒服の促しで、階段を下りたB1のベッドルームを開けた。
 男が五人も入れば窮屈に感じる部屋の中央で、床に膝をつき、二人がかりで後ろ手をまとめられた金髪が深く頭をうなだれていた。
「オーナー、こいつ、店の中で暴れやがって…椅子で頭ぶん殴ってやっと捕まえましたよ」
「そうですか。キャストの皆さんは?」
「裏に避けてます。今日は営業どころじゃないですね。客も帰っちゃってますし」
「……」
 ゆっくりと近づき、彼の前に立つ。金髪の男は俯いたまま動かない。顔を蹴り飛ばしてやろうかと思ったが、背後でその腕を掴んでいる黒服が察して男の背中を靴先でつついたため、ようやくその顔が、不服そうに緩い動きでこちらを見上げた。
「……」
 口にこそ出さなかったが、少しだけ驚いたのは嘘ではなかった。膝立ちの状態でも上背と体格に恵まれているのがよくわかる。しかし顔を見れば、まだそこには少年の瑞々しさが残っていた。十分に痛めつけられたはずだが、屈服の意思はまるでない様だった。息の上がっている肩は筋肉の動きも若々しく、捕獲された動物の様に目つきは荒んでいる。動物の中でも生まれてこの方人間というものを信じた事のない、野犬の様な男だと思った。
「どうします?下のモンに処理させましょうか」
「…いえ、こちらの坊やは私が預かりましょう。貴方達は店の片づけに戻ってください。キャストの方に怪我をさせてはいけませんから、彼女達はすぐに帰らせて」
 指示を聞いた黒服達は逡巡する様に顔を見合わせたが、やがてばらばらとドアの向こうに散らばっていく。最後に少年を拘束していた男達が腕を離し、うちの一人がその背中に蹴りを入れた。無抵抗に倒れた少年に暴言を吐き捨てながら部屋を去ったのを最後に、ベッドルームにはようやく落ちついた広さと静けさが訪れた。
「……」
「…さて、御挨拶が遅れましたね。私この店のオーナーをやっております、ハザマと申します。以後お見知り置きを」
「……」
 視線は合っているが全く反応がない。
 やれやれと帽子とジャケットを脱ぎ、後ろのカウンターに置く。振り返って再び合った目は頑なに、こちらを刺すようにぎらついている。
「貴方、外国人ですか?言葉わかります?」
「…何でテメェと口きかなきゃなんねーんだよ」
 ぼそっと呟いた低い声は見た目の通りに粗暴なものだった。
「…ふふ。威勢のよろしい事で」
 頭を掴み、ほぼ無抵抗の腹を靴で蹴り上げる。肩が一瞬大きく浮いた。
「ぐっ、は…」
 床に向かって咳き込み丸まった背を腕で押さえつけ、パンツの後ろポケットから財布を抜き取った。
 開くと、カード類は一切無い。万札は十枚ごとに外側を一枚で挟んで数束が纏めている。この辺は意外に几帳面らしい。
「まだお若いのに、結構持ち歩いてるんですね。これは真っ当なお金ですか?」
「……」
「な訳、ないか。貴方、未成年でしょう?この免許証も偽造してますね」
 こんな雑な仕事じゃ素人にもばれますよ、とカードの面を爪で弾き、遠慮なく個人情報に目を通す。
「…ラグナ君、ですか。これも偽名?それとも本当に外国人なんですか?日本語お上手なんですね」
「うるせぇな、んな事どうでもいいだろ」
「まぁ、そうですね。ところでこちらの方達は、ご兄弟ですか」
 紙幣入れの内側にある隙間から見つけた写真をひらひらと翳して見せた。
 先程まで不貞不貞しかった表情に、ピクリと動揺が走った。
 ……映っているのは三人。同じ髪の色をした少年と彼より幼い少女を左右に挟み、真ん中に映っているのが今目の前にいる不遜な彼だ。撮影は今より少し前らしい物で顔つきが幼く、肉親の前では気も緩むのだろう、表情も若干柔らかい。何やら微笑ましいものを見たせいか、鼻から笑いが出かけるのを寸でで抑えた。
 少年は蹴られた腹をおさえた儘、立ち上がる事が出来ずわなわなと震えている。
「…返せ」
「可愛らしい妹さんですね。弟さんも貴方とは違って賢そうだ。ご両親はいらっしゃらないんですか?」
「関係ねーだろ!いいから返せよ!」
「……。」
 興を殺がれた気がして、写真を戻し、財布を足元に投げた。
「…貴方、さっきから勝手な事ばかり仰いますが、こういう店に迷惑をかけるって事は、それなりの覚悟がおありなんですよね。一応聞いておきますが…こんな事をした理由は何ですか」
「…理由も何も、先に喧嘩売って来たのはそっちだろーが。店に引っ張って来たのもそっちだし、ムカついたからぶっ飛ばしただけだよ。アンタらに捕まる筋合いはねぇ」
「随分気が短いんですね。その性格は損しますよ」
「うるせぇな、さっさとどけよ…!」
 よろよろと立ちあがりかけた肩を手でぐっと押し戻し、こちらも膝をついて彼に視線を合わせた。
「…ラグナ君。この部屋って、何のためにあるか分かります?」
 改めて名前を呼ぶと気分が悪そうに身構えられた。こちらの質問を受けて、しぶしぶながらも飲食スペースとは隔離された、シャワー付の寝室を緑の目が怪訝そうに見渡した。
 内装はベルベットで固められており、生活家電は極めて少なく、人が常時住み込むような場所ではない。部屋の真ん中に設えられたベッドだけが異様な存在感を放っている。
 一通り顔を巡らせて、ラグナは戸惑いながらもこちらに向いて口を動かした。
「…や、ヤリ部屋?」
「そんなとこです。よくわかってるじゃないですか」
 そのまま胸倉を掴み、すぐ横のベッドに放り投げた。こちらにそんな力があるとは思わなかったのだろう、驚いて抵抗の術を一瞬緩めた腹の上に跨る。動きを封じる様に両膝で腹を押さえつけ、ベッドにはギシリと深い皺が寄った。
 密着した若い体越しに熱さが伝染しそうだ。ネクタイを解くといよいよ意図を察したか、ラグナの低い声が上擦った。
「おい、マジかよ…どういう趣味してんだ?あ?コラ!!」
「いかな理由があるにせよ、貴方がうちの店に損失を出したのは事実なんですよ。私も面倒事は増やしたくないので、できるだけ穏便に解決したいんです…内々に。私の言いたい事、わかりますよね?」
「ふざけんな!テメェのお察し通り、こちとら花の未成年だっつーの!わかっててやってんなら尚更問題だろ、離さねぇと警察呼ぶぞ!」
「どうぞ、ご自由に」
 シャツに手をかけてボタンを外そうとすると、
「だからやめろって!マジで通報すんぞ!変態が!」
あまりに煩いので、一つため息を吐いた後に顔を掴んで上を向かせ、開いた口の中に手を突っ込んでやった。
「……っ!」
 先程まで暴れていた彼の動きがぎくりと硬直した。こちらを見上げていた目が、ぎこちなく下に降りていく。
 感覚で、自分の口の中にある物が手ではなく、手に握られたステンレスのナイフだと理解したようだ。刃渡りは長くないものの、少しでも動けば口内の何処かしらに刃身が触れる。
「…呼んでみたらどうです?警察。それまで喋る舌が残ってればの話ですけどね」
 横に寝かせた鋼刃で、舌にひたりと触れる。ブレード越しにも肉が厚くて削ぎ甲斐のありそうな舌だ。眉がぴくぴくと歪み、微かに震える歯が、カチカチとナイフの刃先にぶつかった。
 未熟な風の少年だが、人間としての本能から起こる最低限の想像力は持っているだろう。罵倒の代わりに漏れた息は明らかな慄きを含んでいた。
 ようやく大人しくなったので、口からゆっくり刃物を取り出し、とりついた唾液を首筋で拭う様に当てると、ごくりと鳴る喉。
 そのまま刃を肌の上で滑らせて、シャツの襟元まで降ろしていく。ボタンと糸の間に刃先を当て、くいと引っ張れば簡単に糸が千切れた。三つか四つのボタンをもぎ取れば、眩しいくらいに若く引き締まった胸と腹が晒された。
 入れ墨は無い。いわれのありそうな傷も特に見当たらない。むしろ、真昼の熱光を知らないように肌は透いており、触れると温かくて吸いつくように心地良い。
 こちら側の人間ではないようだが、しかし門外漢と呼ぶにはあまりにその行動は奔放過ぎるだろう。拙く危うい有り様に、心から嘆息した。
「…貴方、余程怖いもの知らずで育ってきたんでしょうね。…少し学習した方がいいですよ」
 身体を組敷いたまま、ナイフを片手で回転させるように畳んで懐にしまう。そこからナイフの代わりに取り出したアンプルケースをラグナの顔の横あたりに放り、注射器とラベル付の液体を取り出すと、強張った顔が拒絶する様にゆるゆると左右に振られた。嫌な予感を察知したらしい。
 無視して液体を注射針で吸い、軽くポンプを押して空気を抜く。細く密迫した注射液が弧を描いて飛び出し、下敷きになったラグナの襟元をポタポタと濡らした。
 腕を取りジャケットの袖をめくりあげると、逞しくも真っ白な腕が露わになる。
「…おい、何だよそれ、ちょっ、やめろって!」
 行儀の悪い肘が胸に突き当たるので、注射器を持っていない方の拳で横面を殴った。呻き声をあげ、急速に怯んだ腕を強く押さえつけた。圧迫した肌に浮かび上がった健康的な血管に針を当ててから、ゆっくり針を沈めていく。固めの皮膚の中で、血管に針が貫通するプツリという音が小気味良い。
「ぐ…うっ」
「動いちゃ駄目ですよ、危ないですから」
 顔面を手で覆うラグナの、指の間が血塗れになっている。今の衝撃で鼻血でも出ただろうか、それとも口を切ったか、どちらにしても大した事ではない。
 注入は極少量で、液を全て押し入れるのにさほど時間は要さなかった。
 針を抜くとすぐに血が滲んでくる。注射痕はそのまま放置して、開いたシャツの間に手を押し入れる。小さな乳首を舌で舐めるとラグナの体がぶるりと跳ねた。
「うわっ…」
 口に含んで舌根で擦りながら、もう片方は手で揉んだ。しなやかな体だが密度の高い筋肉がついており、胸を下から掴み上げると手の平におさまる程の肉ができる。
「……ッ、ふ」
 執拗に舌と手で肌を弄られ、噛みしめた唇から堪えるように漏れる息。
 熱く高まった皮膚の下では心臓が脈々と踊っている。胸から唇を滑らせて、首筋に口づける。若干汗ばんだ肌を吸うと、顔を背け、これ以上の接近を許さないように押しのけようとする。しかし思うようには抗えず、こちらの肩を掴むだけだ。自分でも抵抗できない訳がわからないのだろう、あからさまに苛ついていた。
「クソッ…てめ、何、打ちやがった…」
「少し力が抜ける薬です。貴方みたいな暴力的なお客さんには常々困ってるんですよ。自衛も兼ねてこういった物は持っておきたいのでね。ご安心下さい、いきなり死んだりはしませんから」
 聞きたくない言葉から逃げる様に身を捩るのが可笑しい。その動きでシャツが肩からずれるのを手に捕らえてむしり取っていく。
 衣擦れと息遣い、肌を吸う音がしばらく続いた。
 肌を撫でる間にもベルトを外して服を脱がせていき、裸同然の姿になったがまだ心は折れないようだ。
 肩を掴んで無理矢理に後ろを向かせ、うつ伏せた腰を腕に抱えて持ち上げた。
「触んな…っ!」
「ちゃんとバックになってくださいよ、見えないでしょう」
 肩越しに屈辱感を隠せない目つきで睨まれる。
 初めて出会う男の前に尻を向け、大きく脚を開いて見られたくもない部分を思い切り見られているのはあまり愉快な事ではないだろう。腕が立たないのか、上半身は情けなくベッドに平伏し、腰を上げたまま動けない格好では威圧にもならない。にやりとしながら、触ると思いの外柔らかい太腿から尻を撫で上げた。
「んっ…、はぁ、」
 嫌がってはいるが、触れるほど息遣いが徐々に鼻にかかったものに変わっていく。
 見れば、菊門が真っ赤に充血している。 肉がぷくりと盛り上がって女性器にも似た襞を作っていた。肌はじんわりと熱く、太腿を掴んだこちらの手の平まで汗ばんでいた。
「結構早く効くんですね。もう少し薄めの調合でもよかったでしょうか…」
 腰を持ち上げて、その熟した蕾に舌を乗せた。
「はっ…あ、っ…!!」
 喉を仰け反らせてラグナが悶えた。
 やはり熱い。穴を舌でこじ開ける様にして、顔を埋めて吸いついてやった。
「ぅあ、あ、っやめろ…やめろ…ッ」
 逃げようと腕が泳ぐ。が、腰から太腿にしっかりと腕を回して身体は固定している。それを崩す程の力を今の彼は持っていなかった。
 粘膜は体温以上に火照っており、包まれた舌の根から火傷しそうだ。太腿には形が変わるほど指を食い込ませて、人より長い舌を奥まで使って抜き差しする。
「あ、ひいっ…!!」
 体が面白いほど震えていた。余程気持ちが良いのだろう、今までとは比べ物にならない程甘くとろけた声だ。しかしまだ理性は許さないようで、必死に歯を食いしばってシーツを手繰り寄せ、そこに顔を押しつけてこれ以上の醜態を晒すまいと耐えている。
 どくどくと熱い肉からずるりと舌を抜いて、口をつけたまま囁いてみる。
「我慢しなくていいんですよ、ラグナ君」
「うるせぇ…ってゆか、何だよこの薬、んっ…力抜けるっていうか、おかしい…だろっ!」
「……貴方、人の言葉を額面通りにしか受け取れないんですね」
 頭の悪い人間に好感は抱けないが、この少年の成熟した体に似つかぬ脆さと浅はかさは気味が良く、たまらなく己の衝動を刺激した。こちらの身体もすっかり熱く滾っており、芯は酷く渇いていた。
 赤く解れた秘部に自分の性器をあてる。すぐには挿入せず、両方の尻を掴み肉をぐっと寄せて、そこに陰茎を挟み込みそのまま前後に擦った。
「はっ、あ、…っくうう」
 ラグナの声が引き攣る。動いた膝の重心が変わりベッドが大きく軋んだ。
「…あら、腰が揺れてますよ」
 自分の動きに押されながら、それ以上に、あたかも突かれている様に腰が快楽を求める様が愉快で、淫らだった。
 しばらくその柔らかい肉での摩擦を楽しみ、陰茎が十分に屹立すると、腰を掴みなおして次はその真っ赤に高ぶった菊門に亀頭を押しあてる。
 さんざんと焦らされた身体が隠しようもなく、びくびくと震えていた。
 唾液で十分に濡れきったそこへ先端を挿入すると、待っていたように中の肉が吸い尽いてきた。
「ん、うぅ…!!っく」
 粘質な音を上げながら、すぐに根元までをしっかりとくわえ込んでしまい、更に奥まで引き込もうとしてくる。たまらず、深い息が漏れた。
「…すごい食いつきですね。アナルセックス好きなんですか?」
 汗に湿った金髪に指を絡めて掴むのと違わない強さで梳くと、言葉が出ないか、駄々をこねる様に首を左右に振る。
「やった事あるでしょう?一度くらいは」
 それしか知らないようにまた左右に振る。
「そうですか…それにしては、あっさり入っちゃうんですね。どうですか?ラグナ君。お尻、気持ち良いですか?」
 円を描くように尻を揉んだ。ギリギリまで抜いて一気に奥を突く。
「あッ、ンンッ!!」
 ぱん、と小気味いい音が気に入った。初めてだと言うのでじっくりと馴染ませるつもりだったが、最早その必要は感じられない。抜き差しはすぐに激しい律動に変わる。
 欲望を叩きつけられ、ラグナの肉厚な肌がたちまち赤らんでいく。
「んっ、んあッ、ちょ、痛、痛い…!」
 訴える声が悲痛に掠れる。嗜虐心を多いにくすぐられ、思わず舌舐めずりをしてしまう。
 獣のように後ろから抱くのも征服的で面白いが、今は哀れなその顔を見下してみたい。汗でぬるぬると湿った太腿を抱えて強引に上を向かせると、中が大きく歪に擦れてラグナが悶絶する。
 仰向けになった顔は汗と涙でぐしゃぐしゃになっていた。耐えがたい責めの所為か口から涎も垂れていたが、あくまでその目は、まだ堕ちてはいない。細まり歪みながらも、その両の緑眼はそれが最後の砦であるようひたすらに自分を睥睨していた。
 身体が甘く疼く。汗で鬱陶しく張り付く前髪を一度かきあげ、歯型で鬱血した胸を両手で揉みしだきながら腰をぶつけた。奥を責め上げ、腹を擦るように続けて揺さぶれば俄かに反応が変わり白い首が仰け反った。
「ああ、あ、ぃ…ッ嫌、嫌だ…うぁあ、っ」
「…ここ、好きですか?」
 最早意地なのか必死に首を横に振る。
「…そろそろ、素直になりましょうよ」
 食いしばった歯がガチガチと震えている。仰向けから見降ろした性器は痛ましい程勃ち上がっているが、自分で触れる事もままならないようだ。ただ与えられる儘によがるのがいじらしく、このまま抱き壊してしまいたくなる。
 彼の身体はすっかり陥落しきっていた。それでも頑に顔を背け、嬌声をあげながらも己の指を噛んで自我を手放さないよう必死になっている。意識は半ば朦朧としているようだが、体以上に精神はこの自分も感心するくらい強情だった。
 喉の奥から、知らない自分の笑う声がした。…自分は、この燃えるような衝動を長らく待ち望んでいたのかも知れない。
 上から覆いかぶさり、その顔を挟んで口づけた。
「んっ…ううッ」
 口の中で舌がもがくのを捕らえて吸い上げる。濡れた金髪を乱暴に掴み、頭皮に爪を立てながらかき乱した。
 息を奪うような長い接吻をしながら、腹を食い破る程、その身体を犯した。
 一瞬離れた唇からやめてくれと泣き声があがる。それもこの耳には、この暴行を悦び、もっと欲しいとねだる声になり誘惑する。
彼が欲しいと思った。この身体を隅々まで、自分の物にしたいと思った。
 そして同時に、自分の中の何処かで、もう一人の自分が密かに嘆く。
(…ああ、私は)
 私は、今理由なき殺戮を楽しむ、悪魔のような顔をしているに違いないと。

 快楽が埒を開け、真っ赤に火照ったラグナの胸から顔にかけて、糸を散らかすように白濁した精液が飛び散った。
 ぐったりと身体を投げ出したラグナが目を細める。薬で神経が緩むのに合わせて瞳孔も開ききっており、表情は一層虚ろに見えた。
赤らんだ顔に滴る粘液を指で拭い口の中に押し込みながら、まだ衝動の収まらない性器を再び挿し込んだ。
「んっ、…もう、」
 呂律の回らない舌で拒絶するのを、無言の愛撫でねじ伏せた。
 こんなものではまだ足りない。
 味わい尽くしてもなおきつく締まる肉が淫靡に鳴き始める。
「……、っ…」
 何かを諦めた眼が堅く閉じられる。声にならない声を絞り取る様、細い涙が一滴流れた。



 煌びやかで毒々しい繁華街の中心部にあり、なおかつ外気を遮蔽した地下の寝室はとても静かだった。
 ベッドサイドにあるわずかな照明は、この地下には訪れる事のない暁の赤。それが横たわるラグナの後姿を包むように照らしていた。
 
「…俺、妹…探してんだ」

 ピロートークにしては随分辛気臭い話だと、ベッドに腰掛けたまま何も言わずに彼の横たわる背中を見下ろす。
 何度も抱き、疲れ果てたその身体から起き上がる意思さえ奪ってしまったのか、もう本当にここから出る事を諦めてしまったのか、半ば夢の中にいる様子で裸の後ろ姿はぽつぽつと喋る。
「…もう三年も前だよ。俺らの親、早くに死んじまって。兄弟三人でどうにかやってきて、それでもそれなりに楽しかったよ。けどあいつが、誰から何聞いたか知らねぇけど、『お父さんとお母さんが生きてるかもしれない、探しに行く』っつって、いきなり出て行っちまった」
「……」
「馬鹿らしいと思って、その時は放っといたんだよ。まさか本当に帰ってこなくなるなんて、思わなかったからな…。ぶん殴ってでも止めてりゃよかった。馬鹿は俺の方だったんだ」
「……」
 この少年が生来、自分でも抑えられない程感情的な人間である事は、呆れる位よくわかった。
 己の中でもそれを器用にコントロールできず、ジレンマを抱いているのだろうと意地の悪い同情心も抱いた。
 しかし今、彼を形造る全てだと思われた激しい感情の色はそこには無い。あるのはただ、燃え尽きた灯篭のような、哀しい静けさだった。
「…こんな話、アンタに言ってもどうしようもねぇけどな。悪い…忘れてくれ」
 蜂蜜色の金髪が溜め息と共に揺れる。
「……」
 しばらく、気だるい沈黙を共有した。
 彼の独白した心の内は、簡単に他人へ語られるものではないのだろう。彼の情熱を嘲笑い、押さえつけ、犯した自分を余程嫌悪している事だろうが、情のない交わりで穿たれた穴から、今彼の心は砂の様にこぼれて落ちているのだと思った。
 紅色に薄暮れた天井を仰ぎ、少し考えた後。
「そうだ」
 さも閃いたように彼の方へ体を傾けてみた。
「…ラグナ君。ご迷惑でなければ妹さんの事、私も探してみましょう」
「なっ…、え?」
 驚いた顔がこちらを振り返る。微笑みを返しながら懐に手を入れた。
「そう言えば、お渡ししてませんでした。私これでもこの辺では結構顔が利くんですよ」
 名刺を出して目の前の手に差し出すと、ラグナがそれとこちらの顔とを交互に見やり、訝しげに受け取ってまじまじと目を通すが、文字をなぞる目つきが段々と険しくなっていく。じろりと上がった顔は口元が若干引き攣っていた。
「…アンタ、只者じゃねぇとは思ってたけど…とんでもねぇな。つーか、こんな所で暇つぶしてていいのかよ」
「おや、私って有名人なんですね。嬉しいなぁ」
「…あんま喜ぶ事じゃねぇと思うけど」
「しかし三年も前となると、随分時間が経ってますね。事件性が無いと警察もあまり積極的には探して下さらないでしょうから、私達の情報網で出来る限りやってみましょう」
「……」
 返事はない。
 喜んでいるのかと思ったが、ただでさえ渋い眉間が今は一層陰険に曇っていた。
「…なぁ。ハザマさんよ。アンタ、何考えてんだ?」
「…ん?」
「アンタらはそれなりにデカイ利益が見込めねぇと動かねぇ人種だろ。俺みたいなのがアンタに支払える物なんてねぇし、あったとしても高が知れてんぞ」
「…ラグナ君。それは、ここにあるでしょう」
 宥める様に無防備な顔に触れて、軽く持ち上げた。
 親指で柔らかい唇をなぞると、意図を汲んだか、みるみる目つきが厳しい色に変わって来る。
「…ふざけてんのか」
「いいえ?」
「アンタの助けなんか借りねぇ、って言ったら?」
「そうですか。なら逆にお聞きしますが、貴方だけの力で何ができるんですか?お一人で努力されてきたんでしょうけど、実際三年も経ってるのに、妹さんは見つからないままじゃないですか。
人探しは大変ですよ。貴方が思っているよりずっとね」
「……」
「大人の立場から助言しておきますが、貴方はもっと、人を利用する事を覚えた方がいい。少なくとも今、私を利用する価値はあると思いますよ。…それに、私も私で貴方を側に置いておく理由ができますからね」
「…何…が、言いたいんだよ」
「私は金が欲しい訳じゃない、ただ貴方を個人的に気に入った。だから、貴方が欲しいだけなんです。何か反論があれば、どうぞ」
「……。」
 目眩でもするのか、ラグナが俯いて自分の頭を押さえ始めた。
 何かとてつもない命題を与えられて葛藤する様に奇妙に唸っている。
「どうしました?」
「……アンタ、わからねぇよ…」
 表情を隠した前髪の間からぼそりと苦悶にも似た声が漏れて出た。
 ……わからない。単純な響きだが、彼が口にすればとても心地の良い言葉に聞こえ、心地良いあまりに思わず笑ってしまう。
 にやりと開いた口の中で光るこの鋭い歯が、俯いた彼を食って仕舞わないかと己を恐れすらした。


 ……これはおそらく気まぐれだろう。
 自分の中に、子供の様に手を伸ばし何かを欲しがる心がまだ残っていたとは、笑い話の範疇だ。
 元よりそんな欲はこの腹には無かったのかも知れない。あるはずの無かった心が、彼に出会ってしまった所為で初めて、開けてはならない箱を開けてしまった様に生まれてしまったのかも知れない。

 疲れた彼の腕を引き、抵抗をなくした額に唇を落とす。
 今宵、星の見えない夜からどの星よりも美しい光を、鋏で切り落とす様にもぎ取った心地がした。