モニタールームの監視カメラが深夜の来訪客をとらえた。監視システムと連動したスマートウォッチのアラートを受けて、キーナーは斜め上のモニターへ視線をやった。モノクロの映像内では、監視カメラが来客の装備品や顔のパーツをクローズアップして照合作業を行っている。
 やがて自動扉のセキュリティロックが解除され、圧縮空気式のドアが開いた。セキュリティを通過して現れたのは、リーパーフードを浅くかぶった女だ。スマートウォッチの盤面には、SHDが所有する彼女の素性が事細かに表示されている。キーナーはあまり手元を動かさないように注意を払いながら、ラップトップの電源を落とした。
「コンリー。君が訪ねてくるとは珍しいな」
「近くまで来たから、寄っただけ」
 来訪者であるコンリーはフードを外して、鬱陶しそうに頭を振った。霧のように細かい水滴が床へ跳ね落ちる。どうやら外では夜が更けても雨が降り続いているらしい。青白い額と首筋に絡みついた毛先が濡れていた。
「暖かい飲み物でも出そうか」
「お構いなく。パーネルは何処? いつも夜中まで機械いじりやってる訳じゃないのね
「テオなら、部屋で少し休んでいる。何か用事があるのか?」
 それを聞いたコンリーの視線が、幾つものドアを設えたモニタールームをわざとらしいほど緩慢に一巡した。コンリーはジョー・フェロの後を継ぐクリーナーズの指導者だ。キーナー達とは別行動であり、この基地を訪れるのも初めてと言っていい。しかし探るような視線のやり方には、それ以上の意味が含まれているようだった。
「部屋……ああ、つまりあなたの寝室って事ね。問題ないわ、いない方が話しやすい
 彼女の声色には幾らかの侮蔑が含まれていた。片眉を軽く持ち上げて、キーナーは先程まで確認していた資料に再び目線を落とした。
 コンリーが訪ねて来るまで、テオがこなした約十一時間分の作業をチェックしていた。サーバーに保管されたデータや共有事項を見ながら、フィードバックと補足を直筆で紙へ書き込んでいく。そして用が済んだら廃棄する。ネットに痕跡を残すのはポリシーに合わない。カジカ程の職業病ではないが、多くの秘密を抱えるキーナーはアナログ志向に傾倒していた。
「テオには重要なプロジェクトを任せている。だからここの設備はある程度自由に使わせている。彼が自分の部屋だと言えば、どこだってそうなる。それで、話というのは?」
「相変わらず、イエスかノーかをはぐらかすのが上手いのね。人には必ずどちらかを求めるくせに」
「仕事の話ならな。個人的な事を詮索されるのは好きじゃない」
「あなたにどういう趣味があって、誰と何処でよろしくやってるかなんて知った事じゃない。けどあなたがパーネルに何を吹き込んでるかは知りたい。知る必要がある」
「何の事だ」
「察しはついてるんじゃない?」
 濡れたブーツが床を噛むような高い音をあげて近づき、テオの作業デスクの前、つまりキーナーの目の前で立ち止まった。シャットダウンしたラップトップとサブモニターを忌々しげに睨み、それからキーナーに目線が移動する。
「パーネルは最近、戦略軍が持ってる誘導システムに興味津々らしいわね。ハッキングは私の専門外だけど、可能性の範囲で言うなら……衛星を使った誘導システムのオーナー権が目当てかしら。そんな事をパーネルが個人的に、しかもただの興味本位でやってるとは思えない。あなたは彼を利用して、ミサイルでも作るつもりなの?」
 キーナーは手元の資料を読み続けていたが、下を向いたまま好意的な表情を作って見せた。
「面白い発想だな。続けてくれ」
「企んでるのはそれだけじゃない。このプロジェクトは、ミサイルと何かを掛け合わせて初めて意味がある。でなきゃどこかの街に一発撃ち込むのに、ここまで手間暇かける必要はないものね。核弾頭、中性子爆弾、それよりもっと効率的に人間だけを殺せる物……それをこの短い期間で手に入れたの? だとしたら、あなたが考えてることは口に出すのもおぞましいくらい、普通じゃないわ。手を貸すと言ったけど、アマーストの野郎がやった事より酷い状況を作るつもりなら、いくら仕事でも従えない」
 キーナーは否定しようのない敬服の意を、彼女に対して覚えた。散らばった点に対して根拠のない疑いを見出し、その点を容易に線へと繋げ、そして恐るべきスピードで真実へ辿り着く勘の鋭さは、男には到底真似できない
 しかしそろそろ弁明しなければ、彼女は目の前の机をひっくり返してでも詰め寄って来そうだ。わざと聞こえるようにため息をつき、資料を裏返して机面に伏せた。勿体つけてゆっくり目線を合わせると、予想していた通りに眉間の影を濃くしたコンリーが待ち構えていた。
「……君が話しているのは、人類が一歩先へ進むための創造的破壊についてか? 中々いけてる発想だが、あくまで君の出した仮定に過ぎない。さっきも言ったが、テオには頼んだ仕事以外の行動は、自由にさせている。彼の自発的な探究心を止めるのは私にも無理な話だ。ユーレカが生まれる場所と瞬間は、凡人には思いもよらないからな
「はぐらかさないで。今は仕事の話をしてるのよ。それも大勢の人間の命に関わる話。質問にちゃんと答えなさい」
 彼女は火炎放射器と破砕性手榴弾で我が身を着飾り、世界の破滅を望むアナーキストだ。そして相反する事に、罪なき人々を危険に晒すまいとする真っ当な倫理観も持ち合わせている。矛盾は人間だけが抱えるジレンマであり、興味深い特質だった。
 キーナーは過去に何千回と作ってきた印象の良い微笑みをコンリーに向けながら、じっくり諭すように答えた。
「コンリー。残念だが、答えと呼べるものは、まだ用意できていない。私は理想が高い。そして用心深いし、シャイでもある。要するに完璧主義なんだ。努力している所を見られるのも苦手な性分でな。だから100%納得のいく完成品が出来上がれば、その時は改めてパーティを開くつもりだ。もちろん君にも招待状を送る。証拠もなく私を糾弾したからと言って、仲間外れにはしないさ」
 コンリーは一瞬目を大きく開いた。激怒するかと思いきや、赤い唇の隙間から歯を見せて笑い返した。
「思ったより……いえ、完全にイカれてるわね。おかしな薬でもやってんの?」
「私は正気だ。この状況で、安い鎮痛剤さえ簡単に手に入らない事くらい知っているだろう」
「じゃあパーネルは、あなたの言うプロジェクトとやらに本気で賛同してるとでも?」
「もちろん、快く承諾してくれた」
 微かに口元を歪めて、コンリーは顎をしゃくった。
「確かに、とても良い関係みたいだし、あなたの思想に頭まで浸かっててもおかしくない。けどSHDが持ってる精神鑑定のデータは見たでしょう。彼は極めて他罰的で、被害妄想の塊よ。裏切られたと一度でも思ったら、必ずあなたに報復する
「思想は押し付ける物じゃない。共に分かち合う物だ。私はテオの自由意志を尊重している。それに彼とは元々気が合うんだ。運命的な……親友と言っていい。友は恋人のように裏切りも恨みもしない。君が心配しなくても大丈夫だろう」
 目をそらす事なく、数秒の沈黙を共有する。積み上がった機材のファンから漏れる、獣が唸るような排気音が一際耳障りだった。
「……いい? キーナー。これだけは言っておく。あなたには周りの人間がビッグ・ボードで動く数字に見えるかも知れない。けど人間は都合よく売り買いできる商品じゃない。簡単に操れるなんて思わないで」
「それだけか? 随分優しい忠告だな。テオの事を取られたくないのか? それとも私をか? あるいはどちらもか。非常に興味があるな、ヴィヴィアン」
「……くだらない」
 キーナーの存在ごと目の前から拒絶するように、コンリーは厚いフードで顔を覆った。ローグエージェントの証である赤く光った腕時計に顔をやり、貴重な時間を無駄に使ったと言いたげに大きなため息をついた。
「そろそろ帰るわ。今の話は聞かなかった事にしてあげる。ああ、セクハラの方じゃなくて、イカれたプロジェクトの話。今まで通り言われた仕事はやるけど、その代わり責任は取らない」
「そうしてくれると嬉しい」
 フードを深くかぶった目元は濃い影に覆われて、どんな目つきでキーナーを睨み付けているかまでは推し量れない。
「あなたがファーストネームで呼んでくるタイミングは決まってるわね。あと一押しで思い通りに説得できると思った時か、無意味に動揺させて、都合の悪い話を終わらせたい時ね
「私なりの親愛の表現だ。最近、どうも周りに距離を置かれる事が多くて悩んでいる」
「以前のあなたを知ってる人間なら、皆そうするでしょうね」
「どうかな? 時間は未来から過去へ流れていくものだ。後ろを向いて取り戻す事はできない。それを変わったと呼ぶなら、君も同じだろう」
 コンリーは「そうかもね」と呟き、フードの下でうっすら唇を釣り上げる。しかしその声には、いかなる種類の感情も宿っていなかった。

「それじゃ、お邪魔したわね」
「ああ。おやすみ、コンリー。良い夢を」
 扉の前でコンリーは一度立ち止まったが、振り向くことはなかった。
「ありがとう。あなたにはクソみたいな悪夢が待ってるといいわね」
 キーナーは何も言い返さず、立ち去る彼女の背中を見送った。

 ……ジョー・フェロの影をまとう亡霊が雨の夜に消える。彼女が持て余す激しい情熱と冷たさが通り抜けた扉には、美しい蜃気楼のような揺らめきが漂っていた。